Boundary line of the water

「でも、いちどでいいから岩魚の刺身が食べてみたいんですよ」
源流域での釣行記をまとめた書籍の中で、ボウズの筆者の目の前でいとも簡単に数尾の魚を釣り上げた老齢のフライフィッシャーが、同宿した山小屋での夕食時にそう話したとあった。筆者の中に芽生えたのは好感と共に、それが叶わないことは不幸なのでは?という思い。キャッチアンドリリースを前提とするフライフィッシングを前にしても、真摯に魚と向き合えば「食すること」は道理であると。いかなる釣法を用いたとしても、その道理は同じではないのか——
スポーツフィッシングなどと括られれば、キャッチアンドリリースは美学とも捉えられてしまうが、そもそも、そんなスポーツなどあるはずがない。釣り人は無秩序に自然に分け入る暴漢でしかなく、それによって無理矢理に水の中から引き揚げられた命の駆け引きをどうしてスポーツと呼べるのか。
釣り竿に結ばれた釣り糸を手繰ることでしか示せない、なんとも偏った魚への情念がキャッチアンドリリースを釣り人の最後の手段とする。食べたくても食べられない、老齢のフライフィッシャーのその思いにこそ、釣り人としての気概があるのではないか。
私たちは何者なのか。猟師でもなければ登山者でもない。不幸なまでに、釣り人なのだから。