想像力の源流へ

歳の近い弟のように思っていたバンド仲間が、結婚の報告に訪ねてくれました。嬉しい限りでしたが、どうやら現在の生業の方は充実感に乏しいらしく、未だに捨てきれない野心などを燻らせては、成功へのこだわりを口にしました。誰かと何かを比べても詮無いことで、本当に欲しいものは見えてきません。そんなことはすぐにやめて、奥さんを愛しなさいよと、秋の休暇「第二弾」の取得に成功した窓際の成功者は語って聞かせましたが、当人にはまったく響いていない様子でした——。

岩手は花巻温泉郷、鉛温泉に大沢温泉、台温泉から夏油温泉へ。そして須川高原温泉を登り小安峡温泉へと下りてくる、みちのく湯治旅。宮沢賢治ゆかりの温泉郷は、まさに紅葉の盛りでした。

岩手を代表する湯治旅館。大沢温泉は豊沢川沿いの露天風呂が最高だ

湯治棟の帳場に残されていたのは、布団がいくら浴衣がいくら、暖房がと積上げ算式に勘定されていく、昔ながらの湯治場余情。農閑期になると布団を持ち込んで湯治に訪れるという東北の文化は、自然のサイクルのごとくうまくできていて、長い冬を温泉でやり過ごせば、春には英気が養われ、夏に労して秋に実るという完成の形。売店と自炊室も充実しており、綿入り半てん一つの温泉生活に不自由はなく気兼ねもなく、ぬくもりの中でのんびりと。そんな質素ながら最も温かい冬の過ごし方を知れば、厳しい冬の到来も楽しみに待つことができるのかもしれません。

無色透明の単純泉なれど、あなどるなかれ。単純泉に名湯が多いその理由を肌で体感したのは、とくに鉛温泉の白猿の湯。天然岩をくりぬいて作られた深い湯船を満たすのは、足元からこんこんと湧出する透きとおった源泉。一見にして地味ですが、ずしりと体に効いてくる湯は重厚。珍しい立ち湯でその深い湯船に身を委ねれば、高く吹き抜けた天井に向かい、疲れはもとより蓄積された鬱憤までもが静かに立ち上っていきます。

宵の帳が下りたころの大沢温泉の大沢の湯も心に残る一湯に。夜風が川面に乗せられて外気温を下げると、川沿いの露天風呂は一層強く立ち上った湯煙に包まれました。幻の中で言葉も思いつかず、ぼんやりとしたまま頭の中は空っぽになるばかり。賢治の圧倒的な想像力の源流がこの地にあったことを頷かせます。

夏油元湯の湯治棟はまるで時間が止まっているかのよう

立ち並ぶ湯治棟の風景に時の流れを忘れさせられた夏油温泉は、辺境にも関わらず開湯は古く歴史ある湯治場。夏油渓谷上流にある国内最大級の石灰華ドーム群は国の天然記念物に指定されており、自然湧出する名湯がその渓谷沿いの野天風呂を満たしています。岩盤の割れ目から湧き出る含有成分量の多いさすがの名湯は、いにしえより人々を惹きつけて止まなかった実力にあふれていました。

湯治客のほとんどが湯に浸かることなく、縁でかけ湯をしていた大湯の野天風呂。とびきり熱いとのことでしたが、肩までしっかり浸かることができました。コイツ、入ったぞ——と注目を浴びたのは私の他にもう一人。肩に大きなタトゥーを彫った男性客はヤクザやチンピラのそれではなく、バイク乗りかバンドマンに見えました。大湯の後に向かった仙気の湯でも一緒になると、なんとなく感じた視線。そして、どことなく感じた親近感。記憶がつながるよりも先に上がってしまった背中が遠くなっていきました。Tシャツの背中には「JUDGEMENT」と記されていました。あぁ!

その後に出会うことはなかったので日帰り客だったのでしょう。しかし、彼もまた、成功者に違いない——。

十数年ぶりに訪れたが、絶えず変わらず噴騰する小安峡