獄中死、完全なる脱獄へ

伝説のロッカー、獄中死—— 伊藤 耕さんの訃報をまさかヤフーニュースで知ることになるなんて、思いも寄りませんでした。

記事のコメント欄には当然のように誰?とか、伝説?とかが故人を偲ぶコメントよりも多く見られましたが、いやいやいや。本物というのはやっぱり、知る人ぞ知る——にある。なんでもそんな気がします。トップニュースにした記者はきっと葛藤しながらも、獄中死という脱獄、すなわち完全なる自由がついに歌われたことを世間に知らせたかったのでしょう。

私がはじめて見たのはブルースビンボーズ時代でしたが、確か当時も収監中だったか服役中だったかで、代理にLIPCREAMのJHAJHAさんがボーカルを取ってツアーを回っていたころだったと思い出します。(この方ももちろんレジェンド。随分昔の話ですが、始発列車を待つ渋谷駅で見かけたことがありました。朝もやの中のその姿はあまりにもレゲエで、話しかけることができませんでした。そりゃぁあぁもう、ものすごいカッコ良かったですし、良寛の域にも達していました)

てっきり、正ボーカル不在だと思ってライブハウスに入るや否や、いつもとは違う異様な雰囲気を肌で感じました。楽屋へ続く調理場の廊下で、ボロボロのレザーキャスケット帽を被った痩せた男性が、リズムに揺れながら前座のバンドを鑑賞していました。放たれていたそれは異彩というよりもすごい、なんと言えばよいのか今でも言葉にできません。

ブルースビンボーズが登場すると、ボーカルはまるで選挙戦中の政治家よろしく、ハンドマイクを数本ガムテープで束ねて「政府は嘘つきです!政府は——」と訴えました。やっぱり、その人が伊藤 耕さんでした。一曲目から酒飲んでパーティー♪ 会場フロアは小気味の良いリズムと圧倒的なボーカルの前に揉みくちゃになりました。

久しぶりに音楽の力に圧倒されました。それは暴力的ではないサウンドで、音の圧力にでもなければ、ただただ自由へと続く調子に導かれていくような感覚でした。ライブも終盤になり、いよいよOH BABY♪が流れてくると「来いよ、一緒に歌おうよ!」と呼び出された、もう一人のレジェンドがいました。

今とは異なり、そのハードコアという言葉があまり一般的ではなく、過激なエロ本を示す言葉としての方が音楽のジャンルとしてよりも認識されていた時代。自身のバンドが小さい規模ながらツアーで各地を回れるようになると、行く先々でその名を呼ばれました。「OPECによろしく」と。

最後はステージの上で二人は手にしていたマイクを離し、友情に抱き合って曲は終わりました。すでに切り開かれていた道の上にいたことを実感し、先駆者たちの偉大さを改めて知りました。

そう、OPECさんとはじめて出会ったのは中学生のころ—— なんだか、少し昔の話がしたくなりました。