関西の営業マンが連れてきた中国出身の陳氏は「凄腕」エンジニア。思いのほか若くて「氏」というよりも「チェン君」と呼びたくなるような愛嬌のある人柄だったが、
「十把一絡げに考えればですよ」
と、日本人も怯むくらいの語彙力はさすが。そんな才人がどうして離さずに背負い込んでいたのが、なんだか生地のうっすい巾着袋で。何が入っているのかは一向分からなかったが、両肩に無理矢理通された巾着の紐が背中の袋を絞り上げ、河童のようになっていたのだから、私はチェン君を愛おしく思い始めていた。
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先回の放送で「数え歌」を取り上げた『民謡沼めぐり』。これは「つんのめり系ハードコア」であるとの解説にはぶっ飛んだが、身体的能力や文化、概念による違いはあっても、私たちの種は同じだという朝刊コラムは妙に腑に落ちた。だって交配することができるのだからねと、至極当たり前のことなのだが。
そうか、例えば日本民謡の労作唄は不条理に対する叫びを詞にしているわけではないが、実労働を伴いながら民が唄い継いできたそのこころは、やはりブルースではないか。
あの良寛禅師も盆踊りを踊り狂った。潜り込んだ『全国良寛会』で取り上げられた話だったが、近年この盆踊りシーンが再興しているらしい。青春期にスカンジナビア・ハードコアのシーンを探求したことがあったが、ここにきてそういうシーンに触れるとは思ってもみなかった。入手した音源の解説書にはどうして大杉栄や幸徳秋水と言った、アナキストたちの名が躍動していたのだからこれも不思議でならない。
その盤には瞽女唄が収録されていた。八木節や越中の古代神などの原型であり、日本の芸能のルーツの一つであるとも言われる瞽女唄が伝えてきたのは、娯楽や流行だけではなかった。旅芸人である瞽女たちが着くと土地の者は神のように扱い、盲目の「彼女たちの唄声の中に絶望の淵からなお立ち上がり、生き続けようとする不屈の精神」を受け取った。「すべての悲しみを乗り越えてきた彼女たちの魂は明るく澄んで」いて、「無垢な童女のようにアッケラカンとさえしていた」が、同時に「一瞬の間合いの中から鋭い反逆精神も読み取れる」のだと。(「北の女神たち」三上寛)
立ちはだかる様々な権力に立ち向かうための力を養う。叛骨を力に変える。瞽女の門付け芸に魂を傾けた民衆には、差別など優に超えた視座があったのだろう。
日本人とは何か。ひいては人間とは何か。「人間とは一なるもの」と能楽師の山本東次郎が著書で明確に答えているように、姿形は違えどもやはり同じなのだ。そしてその「違い」を「変に感じる」ことは「面白い」のではないだろうか。面白く感じればこそ興味となり、対話のきっかけに変わる。
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「フフフ、よくぞ聞いてくれましたよ」と、興味津々その中身を問うた私にチェン君は応えた。巾着の紐を緩め、いよいよ中身を取りだそうとするのを慌てて営業マンが制したのだから、つまんねぇの。