退屈して、そのままでいいのか

「男を磨くなら境川」の境川親方を、割と近くの高速道路の休憩所で見かけた。車も足立ナンバーだし、間違いない。第一、大相撲ファンが元小結両国の親方を見間違うわけがない。しかし、駆け寄る既の所で躊躇ったのは万が一、人間違いだった場合は即ち「極道」であるということ。改めて見ると親方デカいし、眼鏡の縁ないし、なんか周りの人もおっそろしいし・・・・・・。でも男を磨くなら境川だ! 命懸けで往くか行かぬか、この夏の緊張が走った。

窓を開けて寝ているのだが、立秋を過ぎた途端に虫の美声が聞こえてきた。気候変動なれど二十四節気の精度は今も抜群なのだよと話をすると、それよりも窓を開けて就寝していることに驚かれた。まだ一度もエアコンを作動させていないのだよと付け加えると、修行ですか宗教ですかと慄かれた。確かにブッダは言われた。快楽と不快とを捨て清らかに涼しく、とらわれることなく全世界にうち勝ったのが英雄だと。眩しいほどの月明かりが差し込む夜もあって、誠に風雅なのだが、突然の雨には要注意。

今夏の青春18きっぷは五能線から津軽鉄道で斜陽館。大鰐温泉を回り込み、秋田内陸縦貫鉄道と秋田蘭画鑑賞の東北鉄道旅を企てていたのだが、まさにそのルートを狙い撃ち――。しかも集中的という無常の雨が続き、復旧どころか未だに降り続いているというのだから遣る瀬がない。大きな被害が出た翌日、さっそく調査と撮影の依頼を受けて県内の被災地に入ったのだが、特に被害の大きかった地域では軒先に家財道具が積み上げられ、泥の山と化していた。

盆休みの大渋滞の様子がラジオから聞こえてきた。ああこれはボランティア活動に向かう渋滞なのだなと感心するも、週末の拉麺屋に並ぶ行列と変わらなかった。火に入る夏のなんて風流な言い方はしてやらない。どうしてもその拉麺屋に行かなくてはならない人も居るかも分からないが、殆どは無定見なだけだろう。そういう暇人らが忙しそうに携帯端末を弄って退屈をする。「退屈して、そのままでいいのか」ラジオ講座のテキストからの請け売りだが、仏語では「退き」「屈する」ことであると識って目から鱗が落ちた。

これにも鱗が落ちた。稲垣諭著『絶滅へようこそ』毎年50万人近く人口減少している日本の現状を鑑みても「絶滅」は身近な問題だが、そもそも暴力も肉食もない世界を思い描ける人間というのが、自然界ではもう絶滅するしかない存在であると本書は続く。男性性の特徴が無くなりツルツル化して攻撃性が弱まると、脳は縮小して自己家畜化を進める。道具によって生み出された暇に人間が苦しめられるようになると、散々蔑んできた機械がああホントだ、もはや識らぬことがない全知全能の神となっているではないか。それでも世界を平等に、持続可能にと識字率を上げれば、やはり少子化が引き起こされるというのだから、なるほどね。明らかに人間は絶滅へ向かっている。だったらもういい加減にやって破滅しようというのではなく、死を意識して初めて生が生きてくるという哲学の基本に立ち戻る。絶滅する、だからもっとしっかり生きていかなければならないのだと。

店舗の床は浸かったが、その水位がくるぶしほどで治まった地域は難を逃れていたかにも見えた。だが、悄然とブラシで水拭きをする背中は悲嘆に暮れ、愚痴ばかり零していた。他方、腰まで浸かった地域は空元気などではなく、完全なる元気を出して、泥塗れになった機材やら書棚などを皆でもう笑っちゃいながら全力で片付けていた。どういう仕組みでこうなるのか、なんとなく分かってくると、やはり人間ってなんかスゴイのかもしれない。そう退屈することなかれ。

なんだそういうことだったか。力士は巡業中だから、強面だが優しい力持ちの有志などを親方が集めて、被災地へ向かっているのだ。ああんもう、だから大相撲が好き。――平戸海いいっスね、親方ーっ! 言いながら駆け寄ると、足立ナンバーの車はお爺さんを乗せて発進し、それらしい黒塗りの車が現れた。