無常の南アルプス偈

柱杖一鉢に命を結ぶ旅――、などとは決して言えぬ南アルプスは北沢峠から。またも大きな波に遭難寸前の日本列島、だから焦眉の急なのだとか喚き散らしてやってきたのだが、同じような間違いを犯している岳人も釣り人も多いこと。週の真ん中と言えど復路の林道バスは超満員札止めで、あーあ補助シートまで出しちゃって

疲労をどっさり乗せて補助シートにもたれ掛かると、窓側の隣席で独りの若者がヘルメットを被ったまま黄昏れていた。おお、独りで鋸岳か!是非その荒行を聞かせ給ふと体を起こすも、車内でヘルメット。そういう阿呆に限ってマスクから鼻が出とるがな。おまけに鼻水も出とるがな。バスが走り出すと電波を受信したようで、ヘルメットはにわかに端末を弄りだした。以下、なんとなく覗き込んだメッセージにて候。

「感染しました(絵文字)」

続けざまに「保健所から連絡が行くと思います(絵文字)」

メットはズズズっと一度鼻水を啜り上げてから間髪入れずに返信。まずは自身が山頂で浮かれている画像、後に了解の旨をポップに示す「(絵文字)」を送信――。

北沢峠からの登山道は甲斐駒ヶ岳、そして仙丈ヶ岳の両名山へ比較的優しい道程を安全に登れるとあって人気を博すが、立ちはだかるのは三千米峰。無論なめていたわけでもなくその厳しさを十分知りつつも、意図的に余分な荷物を詰め込んで登ってきたから、ぶっ倒れるほどきつかった。大きな悔恨が烈しく消耗するも、そこは南アルプス水はうまし。まさに命を結ぶ冷涼な天然水に一夏の感動を憶えた。

険しい山頂に続く真砂の斜面で足を取られた。進んでは沈み、沈んでは沈むという無間地獄の中に一陣の風が吹いた。頂の辺りでのさばっていた雲霞を一掃するや、何かと呼応するように鳳凰山は地蔵岳のオベリスクが顕れた。摩利支天の岸壁にオベリスクと同じ姿勢で鎮座するのは石仏なのかそれとも奇岩なのか。夢中でシャッターを切っていた私の六根には山伏の掛け念仏がこだましてきた。

「六根清浄」「懺悔、懺悔」法螺貝もそれに応じて鳴る。甲斐駒ヶ岳は全国駒ヶ岳の最高峰で、駒ヶ岳講の信仰を集める霊山。眼耳鼻舌身意、私を騙す私の六識を省みるとその懺悔に胸は熱くなった。しばらくして靡に着いた山伏一行が唱えたのは般若心経だったが、どうして私の中でそれが善導の「日没無常偈」に変換されて聞こえてきたのだろうか。日没でもなかったのに。

 

これを聴け。日没の無常の偈だ。
人はあくせくと日々をいとなみ いつか来る死について考えない。
風に揺れるともしびのように はかない命である。
死に変わり生き変わりつながっていく縁である。
まださとらないのか。苦しみから逃れられないのか。
どうしてそんなに安穏としていられるか。おそれはないのか。
これを聴け。強くて健康で気力のみなぎるいまのうちに
死について考えておけ。

(『読み解き「般若心経」』伊藤比呂美 現代語訳)

 

――くっさめ。

むずむず、はひはひと鼻の穴を窄め広めてからの、くっさめ。季節外れの花粉症なのか、それともおまえは加トちゃんか。よくよく端末のメッセージを覗き見ると、山頂の画像は鋸岳などではなく仙丈ヶ岳だった。阿呆陀羅、今すぐヘルメットを脱ぎやがれ!

仙丈ヶ岳の頂には何もなかったが、白根三山の背後には富士の剣ヶ峰、そして次なる塩見岳が悠然と腰を下ろしていた。その道は遠く険しくも、人里の優しさが湧き出る鹿塩温泉に繋がっている。

うつつも夢のごとくなり。明日をも知れぬから、柱杖一鉢に命を結ぶ。しかし、今はしばし止まるべきかぞと思ふ。く、く、くっさめ。

あ、「私は元気です(絵文字)」