熟練者の休日

怱忙のうちにも、魚釣りに行けなかったわけではなかった。しかし、盛夏を目前に焦燥に駆られていたのも事実。物音を立てないようにして納戸から釣具を引っ張り出すも、建て付けの悪い戸がけたたましい音を上げたから母親に見つかった。安普請の廊下すなわち玄関に屹立するや、母は朝刊の広告欄を指差して「これに乗せろ」と脅し迫ってきた。

「いいかい、おまえはアタシをこれに乗せて、山の神様へ連れてゆく」のだと、禍禍しい暗示も差し込んだ朝陽を後光とすれば、おおこれは神仏の思し召し。って、なんのことはなく安逸をむさぼる中の暇つぶし。

まあ、家貧しくして孝子顕ると言うではないか。若い頃とは違い、今すべきことをしっかり考えられるようになった。だから、例えば短い釣行の少ない釣果でもその経験を大きく得られていると振り返る。そう、もはや私は熟練者――

水路の水草はまだ疎らに茂っていた。それでも虫の音に野鳥のさえずりが水辺の音を夏色に彩り、目映い光が夏野の草いきれを香らせていた。今季を占う、最初の一本が肝心だと私は憶いだしていたが無論、釣果は数や魚の大きさに非ず。愉悦は「道理を知り、それを味わう」ことにあり。

唐突の大きなアタリに動揺してしまい、思いっきり踏鞴を踏んだ。即座に体勢を立て直し、ゴホンと一つ咳払いをしてから辺りを見回した。水辺には誰もいない。よかったー。

今度はしっかりと糸ふけを巻き取って、魚の顎を確実に貫くべく加速度的に強いアワセを入れた。が、魚の抵抗に追従しきれない非力だからスリリング。散々慌てふためいた挙げ句、後は祈るだけだと開き直ったその蒙昧を誰かが見たら、へ?熟練者?どこにいますの?

なんとか魚を岸に寄せてその顔を覗くと、返しのない鉤は上顎をがっちりと捕らえていた。それにも拘わらず、取り込みがまた酷かった。釣り竿を左手で持ち直し、水面に伸ばした右手で魚を捕らえようとするも、と、届かない!

あのヒト、ホントに熟練者なの――?馬脚を露わしただけでなくリリースもへっぴり腰で、水路に飛び込まれてはその洗礼を顔中で受けきったのだから。

「道を以て楽しみとする」

「楽しみとは道理の楽しみなり」

蒸気機関車が吐き出した黒煙に不織布のマスクを染めた熟練者とその姥の休日が、幼子を連れた親子の乗客に混じり溶けていた。味わっていることさえ忘れてしまう、そんなところにほんとうの楽しみはある。