菊を釣る宇宙の下で

今や下品な成金が膨大なエネルギーから二酸化炭素を排出して、宇宙へ飛び立つ時代になった。市井の私たちは毎朝、決死の覚悟を持って感染リスクの中をエネルギー消費の少ない鉄道で移動しているというのにだ。露わになった格差に環境まで破壊されるのだから遣る瀬がない――

と、なんだか肝心なところがズバッと切られていたが、これはきっと紙幅の関係からであろう。うん、間違いない。新しい別冊本で、相変わらず「魚釣り」とは離れたところから興趣を見出そうと、今回は「鉄道」で奮闘しています。

しかし本格的なシーズンを目前にしても、どうして気乗り薄というかやる気が起きない。今季のテーマを設定出来ていないからだが、技術の向上以外には(それが重要だという人多し)やり尽くした感も否めず虚無。

同じような釣りを同じような場所でというのならば、それが自分の首を絞める。「昔はよく釣れたなあ」と懐旧の情にかられてもまだ気が付かず、今度は生き馬の目を抜くかのように人より早く、より奥まで入り込んでは根絶。摘み取ったのが種なのだから、不毛を招くのだ。

自らを疑わないのであれば、恥じることもないのだろう。だから常に立ち止まって点検し、克己心を養っていかなければ、私という釣り人はすぐに絶望してしまう。「恥を知れ」そう言えば最近、あまり聞かれなくなりましたね。

どうすれば、悠然として南山を見ることができるのか。やっぱり宇宙まで飛び立たねば見えぬのかと、一歩離れてみてみるとほら、見えているじゃない。