焼き捨てて、日記の灰のこれだけか―― 種田山頭火は旅の日記を焼き捨てたが、それでも放浪するより外に生き方はないのだと、また行乞の旅に出た。憧れた私も旅に出たものの、今季一号となる台風が発生。ついでに台風二号も発生しちゃって。
でも大丈夫。旅のしほりはパターンCまでの代替案を持つ周到な内容で、どう転んでも四泊五日の充実は約束されている。煩悩具足の慰安旅、愚かな旅人を装った完全なる観光旅行。はて、私が憧れたのはそんなのだったかと気づき始めたとき、レールの先に初めて薩摩富士が見えた。
特産品である空豆にオクラが夕食に出された。春編の歳時記を南の果てで捲っても、もはや相応しい季語は引かれない。黒千代香の熱燗ってお湯割りなんだね、砂むし温泉はちょっと恥ずかしいのだねと、前世は津軽の女であったはずの私が指宿で心のままに燥いだのも、台風の影響なのか。九州南部以外の全国に雨予報が続いていた。
日本屈指の温泉郷である霧島の硫黄谷温泉や新湯温泉、湯之谷温泉は言わずもがな、新川渓谷温泉郷も風情ある湯治場で、東北のそれとはまた違った緑の深みの中に豊かな源泉が惜しみなく掛け流されていた。いや、掛け捨てられていたと言った方が伝わるか。
「こんなところですが、温泉だけは確かです」
見よ、こびりついた温泉の析出物をと宿の主人が謙遜しながらも胸を張ると、呼応するかのように露天風呂の茂みから鶯がさえずるのだから、肥後の日奈久温泉で山頭火が記したように「一生動きたくない」。翌日も絶好の登山日和だと言われても。
咲き始めのキリシマミズキが萌黄色の花明かりを灯し、高原の遅い春を照らしていた。大浪池からの急な坂道に苦悶するも、夢中の間に雲上に出ていた。韓国岳の頂上からのぞいた新燃岳は黒く灼けたまま、未だ燻っている。その先には天孫降臨を伝える高千穂峰のピラミダルな山容が突き抜けていた。
火山礫が堆積した脆い斜面に足を取られ、噴火口である御鉢に向かって滑り堕ちてゆく。活きている霧島連山にそのまま飲み込まれるように。
この旅、果てもない旅のつくつくぼうし――
もの哀しい鳴き声の法師蝉などいるわけもなかったが、中耳に反芻していた。私は愚かな旅人になれない。復路へと吐き出されると、凡夫のそれは台風とともに消滅した。