アナキズムで相撲と温泉の平和を

正代直也の「直」は立ち直るの「直」――と、成績不振が続く大関正代に向けられた手書きの横断幕に心を打たれた。まったく関係のない、テレビの向こうの私が。だが、一番弱いときにするのが応援であり、その激励に発奮しないでは大関、いや、力の士が廃るというもの。盛り返しすぎて千秋楽、初優勝が掛かる新関脇の若隆景を無駄に阻止するのだからこの大関は。

とにもかくにも、五十年ぶりの福島県出身力士による優勝に沸いたが、汚染水の海洋放出しかり廃炉への道は未だ遥か遠く、またここにきて武力行使が原発をも標的にしたのだから震撼。戦争反対、原発反対とどれだけ声を荒げてもどこにも届かない。――あたかも人類が立ち直る機会など、はじめから虚無だとでも言うように。

『文學界』4月号の特集は「アナキズム・ナウ」。きな臭いのと同時にアナキズムが起きるのは、ほんとうの自由平和がそこにあるからだろう。要らぬのは国家であり権力だが、それに抗うデモなどはときに暴徒と見なされ、暴動とも書かれれば印象はさらに悪。民衆による破壊と略取を「暴力」と見るならば、傍観者は一体何を見て何を信じたのか。

小石を握った民衆に銃口を向ける警官隊が正当なの?大塩平八郎の乱や米騒動は暴力だったのか?はたまた腹を空かせた幼い妹のために盗みに入る兄って悪?違うでしょ、その様な状況に陥れることが暴力的な破壊で、満たされているのに分け与えないことこそが略取だ。

埃だらけのレコード棚からCRASSの12インチを発掘。アナーコ・パンクは右でも左でもなく平等無差別の反戦反核、また環境破壊に異を唱えた非暴力の平和思想に起つ。印度の虎狩りよろしく轟音を奏でる相互扶助の小さな芸術集団は、♪Punk is deadと歌った。アナキズムだ。The CLASHではないのだ。

丁度、映画「テルマエ・ロマエ」が放送されていた。まるで漫画だと腹を抱えるも、争いを回避するための理想郷建設に描かれたテーマは大きい。そもそも温泉という大地の恵みは所有者のないコモンであって、人種や国籍、女も男も動物の如何を問わず、健康と平和のために用いられるべきアジール(不可侵の避難所、聖域)だ。

古代ローマ人の主人公が同じく感心していたのが、土俵の上で勝負する相撲。闘技場での殺し合いとは違い、裸一貫。一切の武器を持たずに。