「知ってますよ、芋煮は地域によって味の違いがあるんでしょ?」先に言われたのが面白くなかったのか、そうではないとコミュニティーバスの運転手が口を尖らせた。
「うちなんか、牛でなくて豚ですがね。豚の、しかも味噌ですがね」
最上川支流の銅山川は未だ続く復旧工事に濁っていたが、どうして律儀な東北人の心根に淀みなどあろうか。本格的な降雪となる前に肘折温泉へ向かっていたが、大雪に埋まる湯治場というのも一度は見てみたい。バスの中で悠長に思っていたのも束の間、変異株の猛威に襲われて旅路はまた遠くなった。
池内 紀の『湯めぐり歌めぐり』にあった。
最上川はいたってリチギな川であって、あれだけの大河でありながら水源から河口まで一歩も県外へでない。まるで自分を「山形の川」と、心にかたく決めたようだ。
そして快速列車までもが西吾妻山を源とする大河に沿いながら走ってゆく。この地には最上川の他にもう一つ誇れるものがあると同書にあった。斎藤茂吉である。
記念館にはその名を冠した駅があった。それがまたプラットホームだけのゆかしい無人駅で、黄昏時にはきっと旅情を慰めることだろう。改めて歌人の足跡をたどれば、短歌や俳句というのが詩、ポエムよりもいかに写実的で分かりやすいかがよく分かる。が、未だに分からないのは永井ふさ子である。五十を過ぎて二十の愛人で、しかも絶世の美女というのだからこれほどつまらないことはない。
「美女と焼き肉」
近年、反発を覚えるのがそれで(そりゃ米沢では牛肉を食べましたがね)、権力者や資本家との大きな格差に悶えなければ生きては行けぬ時世であるからして反発は当然なのだが、根幹を揺さぶるようなほんとうの芸術が果たしてそこにあってなるものなのか。たとえば民芸品に見出されたように、ぶすにこそあらねばなるまいのではないか。
貧乏とぶすはきっと毒にも薬にもなる。なんだよく見たらアレだねと、おっとよく見たらアレなんだねとでは、どちらがアレであるか明白である。色白である。もはや気になるのはぶすである。なぜに私は日本を代表する歌人の記念館で持論を吼えているのか知れないが、しかしこの愛人というのがううむ、美人なのである。
快速列車は港町に向かって冬の川を下ってゆく。車窓の出羽富士はその頂を真綿で包み、今まさに山眠らんとあった。
リザーブしていた港町のレストランでワインをオーダーした。最近凝っているのがカジュアルではない洋食だったが、スープスプーンの正しい持ち方やフォークを右手に持ち替えてはいけないことを初めて知ったり、支払レジを探して席を立ってしまったりと、恥ずかしいを重ねていた。それでも、ちょっとでも気取りたいから私は抗うのだ。
今日は魚のコースをお願いしていたので、自宅で尾頭付きの魚をナイフとフォークで食べる練習を積んできた。何匹も鰯を焼いて熱心に予習してきたのだが、リーズナブルなコースでは「切り身」の料理しか出てこないじゃないか。
どうして昔日のバーベキューの思い出がレストランの高い天井に描かれた。アラクレ(と呼ばれる旧友)が炭を熾して焼いた、冷凍パックのやきとりが美味かった。その細君が作ってくれた小間切れ肉の豚汁がまた美味しくて。もちろん味噌仕立てであった。