サフィール、小さきものの夢

なんだか妙に険しい鎖場、やせ尾根、そして激しいアップダウンが続く縦走路で私は思い返していた。今頃は大相撲九州場所、それから阿蘇に祖母山とくれば、黒川・杖立温泉という西日本屈指の名湯を堪能しているはずだった。阿蘇山の噴火により変更した行き先は、どうして丹沢山塊と天城山縦走、伊豆・伊東温泉。あれ、なんかスケールが小さいというか、夢がないというか・・・・・・。

蛭ヶ岳山頂でついに閉口した私を、日本一の山が笑う。小田原から見ると身近に感じる富士山だったが、山の中で大いに打ちのめされて見上げたその峰は、山の上の更にその上にそびえていた。丹沢の主脈・主稜線縦走路は、一千四百米を越える高低差があると聞いて驚いた。おいおい、北アルプスをも凌ぐではないか。親しみやすい関東の山であることが先行するが、そこはさすが日本百名山の山。深き山々は遠く富士の峰までそのまま続くと思わせるほどの大山塊だった。

へとへとになって到着した山小屋で私を慰めた純米酒・丹沢山。これは是非とも熱燗でいただきたい名酒をさっそく傾けると、主峰丹沢山も日没に頷いてゆく。冬はもう近い。一年納めの大相撲が山小屋の小さなテレビに映っていた。

 

心技体、力士に求められるそれを見事に修めた横綱照ノ富士の今の顔は、東大寺南大門の金剛力士像そのものであると思うのは私だけでないはず。しかし九州場所といえば、和装の「田じまのママ」だが、昨今話題の「溜席の妖精」こと洋装のお嬢様が博多にも遠征し、向正面の東西に分かれて連日の観戦というのだから、やはり相撲どころではない。竜虎、伯仲、鮨と焼肉、和装と洋装。ああんもう!甲乙つけがたい!

随分と若い頃は、たとえばそういう中洲の店で酒を呑めるような、大きなものに憧れた。けれども齢を重ねて胸にしたのは、まるで正反対だった。

すみれほどな小さき人に生まれたし

大きなものはそれ故に小さきものが見えないのだとしたら、それほど恐ろしいことはない。踏み潰してしまうではないか。この大山塊の中でいかに自分が小さいかを知れば、もっとよく大きなものが見えてくる。

随分久しぶりの伊東温泉。湯量豊富の一大温泉地だから宿の大浴場も悪くなかったが、伊東はやはり共同浴場だ。湯船を囲むカランにシャワーなどなく、カコーンと洗面器が床を打つ高い音が日常であって、そのまま旅情となる

最終日、下山中の天城山縦走路で電波を拾った。重要と題されたメッセージには「ご予約の列車に遅れや運休が発生している可能性があります」と東海道線内で発生したトラブルを知らせる内容だった。

駅に着くと列車の運休を告げるホワイトボードに詰め寄る多くの観光客の姿があった。前の号もその前も特急踊り子号は運休となっており、いよいよ新幹線でのつまらない帰路を覚悟した。だが、構内放送から「特急サフィール踊り子号は概ね通常通りの運行」の告。どうしてサフィールだけは動かすのだという、謎の運行に観光客がまた詰め寄るも、全席グリーン指定の特別な特急列車は「本日全席完売につき、ご乗車になれません——」。

特別な特急列車の特別なグリーン席券を見せびらかすようにして、小さきものが改札を通った。うふふ、こういうところは夢いっぱいの大きなスケールでね、それが旅の醍醐味ってもんです。

特急列車にはどうして夢があるのだろう