電話で予約

「とにかく古い旅館なので・・・・・・」と、どうして宿泊の予約を受けてくれない。(電話越しだが)一向に首を縦に振ってくれないのは以前にもあった。雫石の鶯宿温泉だったか、それとも津軽の黒石温泉郷だったか。どちらにせよ、本物の湯治場である。食い下がるうちに、だから私の期待はどんどん高まっていった。

なんとか予約を取り付けたのは、磐城の母畑温泉。母畑・猫啼温泉郷は無色透明、無味無臭のラジウム泉で、その地味な泉質もさることながら二つの大型観光旅館の印象が大きい。むしろその印象しかなかったが開湯の歴史は古く、まさにそれを体現していたのが木造旅館の元湯だった。

バス停までが見事に煤けていた。石垣を回り込んで門の前に立つと、常緑の松が頑とその枝を張り出しており、古い木造旅館の趣を増して見せる。すぐ裏に立つ旅館の高層により落とされた陰影がコントラストを強くして見せたのは、木造の意気地と言うか、それとも元湯の気骨と言おうか。それでも出迎えてくれた品の良い女将は電話越し同様、いつまでも謙遜していた。

黒光りする館内は整然としておりながらも、帳場の脇で売られていた石鹸などの日用品が湯治場然としてあった。きらびやかな設えはないが、円谷幸吉が宿泊したという新聞記事の切り抜きや古い温泉ポスターが目を楽しませる。身をかがめて背の低い階段を登ると、障子の客間を貫く長い廊下が続いていた。部屋の端はタイル張りになっていて、昔は水回りとして使っていたのだろうか。風呂にはもちろんシャワーなどなく、楕円の湯船にさばけのいいアルカリ性の湯がとろりと静かに波打つのみ。どれも使い込まれていたが、とても丁寧に磨かれていた。

壊れているのはもちろん、汚れているのでは機能しない。ようやくリサイクルされた製品に新たな価値が与えられる時代になったが、たとえば東鳴子のどこぞの湯治宿のような清潔感のない古さに見出すことは何もない。また、古さを逆手に取った高級志向というのもどこか趣味が悪い。ホスピタリティは飽くまで静養の中にあり、本物の温泉であることがより求められていくのではないか。

 

ほんとうに小鳥のさえずりで目を覚ました。部屋は冷え切っていたが、だから布団が温い。温泉がまた恋しい。風呂に行こうと襖を開けると、熱い湯の入ったポットが静かに置かれており、早朝にもかかわらずトイレまでまた新しく輝いていた。

成長期に大型化した観光温泉旅館の多くは、今となっては見る影もない。大酒に大食が一夜騒ぎの内に濁され捨てられたのを、いい時代だったと振り返る人もいるだろう。だが、こうして今に残り、大切にされてきた湯治場の木造旅館を静かに見上げると、顕れていたのは本質だった。大地の恵みである温泉をありがたく頂戴し、丁寧に設備を使わせてもらうのだと客の心構えが変われば、不思議なことにその心まで整えられていたのだ。

いつしか渦巻く情報と利便性に蝕まれていたのだろう。電話で予約だった。まだ知らぬ温泉旅館はきっとある。

私のポンコツ車を見て察したご主人がガレージを開けて見せてくれた。物を大切にする精神がこんなところにも見て取れた