夏の思ひ出、三十年目の告白

風を追いかけるような日々にどんな意味があったのか。夏の日の風は日没を前に先触れなく止んでいた。それを機に、頂の向こうから湧き出した雲が急いで上空へと昇っていく。けれども風が止んだように、そうしてまたどこかへ消えていくのだろう。

「実は、俺——」

彼と出会ってからもうすぐ三十年になる。ショベルヘッドに跨がる愛妻家だが、多くの趣味にも興ずる左党の旧友は、どこにそんな余力があるのか、畑で野菜まで栽培するのだから敵わない。渓流や山登りではバディとなり、常に挑戦心を掻き立てられる存在の友を尊敬し、大切に思ってきた。それでもずっと言えなかったことがあった。ゴメン、実は俺——

 

「ショートカットが好きなんだ」

南アルプスは白根三山の稜線上、標高三千米での突然の告白に旧友は息を呑んだ。——ように見えた。

三山の北に位置する北岳を指し、「ショートカット界」の今最も高い嶺がその人であると、私は興奮気味に和久田麻由子アナウンサーの名を挙げた。言わずと知れた東大卒の才色兼備だが、朝のニュースでも夜のニュースに移っても特別な感情を抱くことはなかった。しかし、突然の断髪だったのだ。まばゆいほどのショートカットで放たれた「次のニュースです」に、一体どれだけの偏愛者が射貫かれたであろうか。

間ノ岳は三山の間にあることがその由来であると、酸素の薄い高地で更に熱を帯びて語り出したものだから、慌てて旧友が制した。知ってるよ、昔よく言ってたもんね。バレーボールの栗原選手——

「はぁっ?!二十一世紀だよ?」

激昂して立ち上がると同時に、シェラカップが甲高い音を回転させて岩場を舞った。ご時世のショートカットと言えば、スプツニ子!だよ!と、スプツニ子!スプツニ子!その妙名を金切り声で連呼する。

 

「大体、君って男はだよ。胸の大きいのがどうのって」

ブツブツといまだに止まないのを尻目に、いつしか一際不気味な朱色の屋根の山小屋にたどり着いていた。農鳥小屋だった。眼前に立ちはだかる農鳥岳へと続く崖の道に戦いて振り返るも、今下ってきた道も見事に急な坂の壁。行くも戻るも、留まるのはもっと地獄か——。

海外ドラマ「アンという名の少女」の続編で、赤毛のコンプレックスを克服するために行商人から毛染めを入手する話が描かれた。案の定、理想の黒髪どころか原作に忠実なエクスプロイテッド髪になってしまうのだが、切るも切らぬも地獄の二河白道をショートカットで進むアンの姿がどうしても愛らしい。

コンプレックスは個性、それは弱さを知る最高の強さ。ショートカットにはきっとその気概が見えている。

風を追いかけたとしても何の意味もない。風は止み、昇った雲もそのうちどこかへ消えていく。それでも風を追いかけるようにして、私たちは高き嶺を目差し登ってきた。

どうでもいいような話に付き合わせて、もうすぐ三十年になる。いつも本当にゴメン。でも俺、ホントにショートカッ

 

(以下、写真で振り返る、夏の思ひ出)

 

遠き山、平ヶ岳にて。夏のワタスゲはボリューミーだからか、少しだけナルシシズム。

友が拵えてくれた冷やし中華弁当が美味かった。

 

料理長のレシピ。北アルプス雲ノ平を目指すための計四泊分のメモ。山でいただく「ご当地飯シリーズ」は連日の押し寿司だったが、美味しさはもちろん、とにかく楽しかった。

釣った魚は迅速なリリースにて、またいつかお会いいたしましょう。

 

ひとっ風呂浴びに登ってきた赤岳鉱泉にて。友をモデルに撮影していたら、「プロの方ですか——?」

どうして今着た服を、もう一度脱ごうとした若者の真意を計りかねた。