尾瀬のマグネット

人は別れるために人と出会うのか——。会者定離のもっとも辛い定めとは、この世で初めて出会った人との別れなのかもしれない。そう思えば、ときの瞬間すべてが愛おしく胸を突く。「思い出」は「思い出す」のではないという。「思いが出る」我知らず思いが出てしまうことに自らの意志は関与しない。ならばその思いを強くすべく、出来るだけ色々なところへ連れ立って行こうと決めてから、どれくらいの月日が経っただろう。——どうしてなかなか死なないものだと、物騒な物言いはやめにしても、先を歩く姿が確かに年々小さくなってゆくようで、心細く見えていた。

おいそれとは、お友達たちとも出掛けられない夏が続く。少し退屈そうにしていたのが気掛かりだった。どこへ行きたいかを母に問えば、意外にも「尾瀬!」。二回目のワクチン接種を終えたことをきっかけにした、七月の末日だった。ニッコウキスゲの開花にはまだ間に合うだろうか。

電車の接続待ちに頂く朝食は〆鯖を炙って焼き鯖寿司にした。ついでに作らされた昼食用のカツサンドは得意のメニュー。淹れたての珈琲を水筒に詰めた豪華版だ。尾瀬ヶ原から白砂峠を登り尾瀬沼へ。そして奥只見湖を渡船して上越線に接続させる旅程だったが、さっそく鳩待峠の入口で天気予報は午後から強雨と雷の警告あり。

見晴の山小屋に宿を取っていたが、待避するところのない尾瀬ヶ原で落雷に遭うのは大変危険。山ノ鼻で逡巡していた私を尻目に、母は至仏山に背を向けて「私はアレよ」と、謎の過信を含ませたまま歩き出してしまった。ああ、まさしくこういった高齢者が遭難するのだ。尾瀬の歩荷が担いできた厚い雨雲は午後を待たずして、燧ヶ岳とアレな母子を飲み込んでいった。

肩がすくむような雷鳴一発が轟いたの合図に、冷たく湿原に落とされた。それを跳ね返そうと池塘がさらに周りを騒ぎ立てる。慌てて木道の上で母に合羽を着せたが、丁度子供が長靴を新調したときのように、なんだか嬉しそう。高木のない湿原に落ちる雷があるとすれば、浮かれているその人にだとたしなめたが、それでも楽しそうだった。風が出てきて、いよいよ頬を叩かれると、今度はなぜか上気した顔で雨雲に立ち向かっていった。「私はアレよ!」

吹けよ風、呼べよ嵐!と昭和のプロレスファンよろしく荒れ狂うも、次の大きな一発は他のハイカーたちも思わずしゃがみ込むほど強烈だった。焦眉の急、これはまずいと泡を食えば、濡れた木道で母は足を滑らせ転倒してしまった。逝ったか——!

左足の膝頭近くまでを池塘に取られ、木道にうつ伏せで倒れ込んだ背中を容赦なく大粒の雨が叩き付けた。慌てて母の体を担ぎ上げたその刹那、音のない稲妻が湿原を駆けた——能の舞台では驟雨で場面が展開し、いよいよ面をかけた亡霊がその姿を現す——雷光が蒼白した母の顔に陰影を作った。濡れた髪が流血のように額を這い、どす黒く窪んだ眼底から妖光放つその顔は鬼。まさに鬼女!ひぃぃ!追いかけてきた雷鳴に私も腰を抜かしてしまった。

ずぶ濡れで見合わせて、雨の尾瀬の中でしばし笑い合った。鬼女というより、やはり物狂い女か。幸い母に怪我はなかった。許しを請うたわけではなかったが、湿原はいつしか静穏を取り戻していた。

楽しみにしていた高層湿原は雷雨の中にあり、山小屋の夕食もカツレツだった。受難のような人生、何より最大の失敗作がそれでも美味しそうに頬張っているのだから、きっと母は救われないだろう。旅はこれから最大の難所を迎える。

白砂峠を見晴から越えようとすれば、標高差二百五十米ほどの登り坂になる。もちろん険しい登山道というわけではないが、岩の重なる道は昨日の雨にそのまま濡れていた。登り坂を目の前にして、急に「ホタルよりネオンだ」と自称都会派を名乗りだした母だったが、それでもよく頑張った。「もはやガッツしかない」とぼやきながらも、よく歩いてくれました。

峠道を登りきると、開けた湖畔の木道はすっかり乾いていた。尾瀬沼にたどり着いた。逆さに燧ヶ岳を映した湖面が微風に揺らされて涼しげだった。ウイルス禍に燻る下界がまるで嘘のようだったが、バスに船もそれを理由に値上げに乗じ、山小屋で取られた割増料金は私の財布に見事な穴を開けていた。

母はと言うと、あれも欲しいこれも欲しいと尾瀬沼の売店で止めてくれなかった。どうしてそんな所に貼りたがるのか知らないが、冷蔵庫に貼るのだというマグネットを最後まで離さなかった。

ねぇ聞いて、舎利子。今この目の前で立ち上がっている景色が世界なんだ。あなたや私により思い描かれたその色は空でしかないのだから、思い出すための物なんて要らないよ。思い出は、思いが出るのが、ほんとうなのだから。

それでも、欲しい欲しい欲しい——!今このときをまるごと閉じ込めて、いつでも出せるように願うのだと母は離さない。これが人の弱さなのか。けれどもそれもまた情の深さ故なのか。愛別離苦の苦しみに抗おうとするのも執念、だから苦しみから逃れることができない。できないのだと知りながらも、私はマグネットを余計に一つ、会計に出していた。

僅かに残されていたニッコウキスゲの黄色い花が、夏本番の青空に透かされて、今年の花弁を閉じてゆく。

必ずやってくる別れという無常に、耐えることができるのだろうか。

 

またおいで!尾瀬の花の語らいにも耳を貸さず、ガシガシ歩き続けるK子サン。まだまだ元気です!