絶望的な自由を写す

そもそも日帰りする旅程ではありませんでした。残雪の山で体力と気力を完全に奪われてしまい、ハイウェイパーキングで朦朧としながら地図を捲るも、復路はまだ「絶望的」な距離を残していました

パーキングの軒先を飛び回るツバメの姿に、違和感を覚えました。壁面には何も無く、察して視線を下げましたが、巣が落ちていたというわけではありません。番でしょうか、もう一羽が軒下のゴミ箱の上で微動だにせず佇んでいました。近づいてもまったく動じず、ただ遠くを見やっています。その姿はまるで、諸行無常に絶望したかのよう——。

思わずレンズを向けてしまいましたが、ファインダー越しにもひしひしと伝わってくる無常観。シャッターは切れませんでした。

カメラ本体とすべてのレンズを放出しても欲しい機種にはまるで届かず。結局一つ下位機種に変更してようやくミラーレス一眼に。軽い!

ETV『こころの時代』で、ミャンマーの医師で作家のマ・ティーダ氏「独房で見つめた自由」が再放送されました(2018年放送)。先の民主化運動で軍事政権に捕らえられ、六年間の独房生活を強いられた氏でしたが、身体的な自由を奪われても精神的な自由は決して奪われないと、独房の中で瞑想を続けます。

自らの内に入り込み、宇宙の果てにまで到達する哲学こそ、完全な自由。「君はどこまでも自由だ」と声を漏らしたのは、看守の方でした。独裁的な政権に従属するが故に、身体的な自由はあれど精神的な自由が無い。どちらがほんとうの自由かは明白であるばかりか、更に氏は投獄された歳月をとても価値ある時間だったと振り返ります。まさに発想のコペルニクス的転回。悟りであり、即ち成仏。釈放後の氏の活動は、完成されたブディズムをもって実践されて行きました。

ハッとして、もう一度ツバメを見やると、それでも微動だにしない彼もまた、「瞑想」をしているのではなかろうか——。草木国土悉皆成仏、森羅万象すべてのものは仏に成ることができるというのだから、そうだ、間違いない!もしかしてこれが、ヴィパッサナー瞑想というやつか!?

心ない人に巣を撤去されてしまったのかもしれませんが、ほら、今年は大変な子育てをしなくて良いかもよ♪と、無責任なことを言いつつも本当に、無常の絶望とは大いなる希望の始まりなのかもしれません。

それでも私はまだ、「絶望的」な距離を残していましたが——。