復元の希望と共生の藪化と

狂ったように魚釣りに興じていた少年期の水辺環境は、とても劣悪でした。下水道の未整備域から流された生活排水は、護岸化された用水路を伝ってそのまま湖沼へ。季節を問わず茶色く濁った水面に水生植物は見られず、投棄された日用品や不燃ゴミだけでなく、浅場には大型家電が堆積していました

そんな環境下で生きていた魚の中には、富栄養化により極端に大型化したものがいました(魚もおかしくなっていたのでしょう)。臭う魚は嫌に黒色を帯び、ヘドロをため込んだ水辺はまるで底なしの沼に(水際から一歩踏み入れると、すぐに子供の全身が浸かってしまう)。だから「良い子は川で遊ばない」という看板が立てられました。

それでも、古タイヤは絶好のストラクチャーでしたし、沈んだ冷蔵庫の「扉が開いて」いれば、大物を釣ることができました。今思い返すと恐ろしく危険ですが、大きなオイルフェンスの上を這って対岸へ渡れば、そこはパラダイスでした。何より、でっかい魚を釣り上げることができれば、ヒーローになれました。そういう時代でした。

中止になっていた環境保護団体の集会が一年越しで開かれ、湿地帯での拡張工事の現状説明をようやく受けることができました。が、発注元である自治体はコロナ禍の影響で不参加、資料提出のみで、直接疑問を伺うことはかないませんでした。

当初の工事計画では、人的な手を入れない「保護区域」が設けられていたはずなのに、計画自体が変更され、水門や樋門の改修と同時期に本湖にも重機が入れられました。掘削した土砂はそのまま盛り土に固められ、新しく築かれる堤防とほぼ同じ全長で、掘削は東側全域まで広がりました。

かつては大河がその水を持って湿地帯へ流入、時折洪水を起こしながら土砂を海へと下していたわけですが、河川の掘割による治水事業の成果が、本湖に土砂を堆積させています。今や深刻な陸地化が懸念される湿地帯ですから、保護区域の計画は見直されたのでしょうけれど、それでも一部分だけでも、完全に人の手が入らない自然を残して欲しかった。植物の愛好家たちよりも同じ声が上がり、希少な種子が眠る土が盛り固められるのを嘆いていました。

それでも時代は変わり、豊かな水辺の自然環境の価値を改め、開発とは違うかたちでの有効活用を考えて、実践されるようになりました。治水しながらも干拓地を湿地に戻すというのは、まさに夢のような大事業。臭いものに蓋をするようにして埋め立てられた、あの頃の無惨な顛末からの大転換をどうして想像できたでしょうか。そして、市井の人たちが積極的に事業に関わり、理想を持って意見を述べていくのですから、本当に素晴らしいと思います。

ただ、水辺との距離が近くなると釣り人の往来も増えて、魚はまた遠のいて行く——そんなジレンマにも陥る、釣り人ほど勝手な生き物は他にいませんね。

人間も自然の一つですが、現代が認識するその自然と人間とは、やはり大きな隔たりがあるように思われます。だからこそ、共生に必要なのは「境界線を引くこと」で、手を入れない保護区域の藪化によって守られるものは大きいのではないかと。かつての劣悪な環境をも生き抜いてきた強い魚でしたが、その数を減らし続けているのは間違いありません。