捕らわれるのも悪くない

節分に粉末の寿司酢を用いて、かんぴょうと椎茸の海苔巻を握りました。年の瀬に買わされた、ミニシクラメンは元気です。まだまだ蕾をたくさんつけており、彩りの淡い日々を楽しく飾ってくれています。ただ、土に栄養を与えなければならないとのことで、肥料の散布、添加の必要に迫られているのですが、土の中にぶすりと打ち込まれる薬剤のそれが、まるで覚醒剤のようにも思われて、なんだか忍びないのです。

能の公演は予定通り上演されており、平家物語を本説とした能と、山岳信仰の開祖である役行者に虐げられた神を鎮魂する能を観ました。前者の後半は思いっきり寝てしまいましたが、出張を激しく拒んできた日々に溜まった鬱憤も、少しだけ浮かばれていくような心持ちになりました。

ラジオから布施明が流れてきました。よりによって、♪たまらなくテイスティー。若い女性の選曲であると聞いて、さらに驚きました。

♪たまらなくテイスティー 貴女はミステリー 会えば会うだけ溺れていく 本気になるのも 悪くない

歌詞の最後の「——悪くない」。これが今の音楽には感じられない、奥ゆかしさというのでしょうか。ダンディー、セクシー、もはやロッド・スチュワートと表現すべきでしょう。言い過ぎでした。居酒屋の暖簾ですら遠のく昨今、場末スナックの夜を思い出しても無常でしかありません。ああ、酔いのうちにカラオケのマイク、握りたいです。

たくさん時間があったので、厚くて安い本を選びましたが、面白すぎてすぐに読み終えました。永遠に読んでいられるのは、新刊の釣り図鑑です。驚きの低価格にも関わらず、魚の特徴、仕掛け、さばき方までを網羅していましたが、どういう訳か、偏愛するあの大型淡水魚のことは省かれていました。

日曜日の朝に放送中のラジオ講座がとても勉強になります。副題は「この世のまことを生きる」。無常とは、盛者必衰のことわりも風の前の塵と同じであるというように、その観想を捉えることが肝要であると講座は説きます。

この世界が無常であることを忘れると、その場限りの幸福感に浸り、最も大切なことを後回しにしてしまう。何が起ころうとも現況を受け入れるという、前向きな心に育てていくのが無常観の効力。しかし、無常だからといって縁起や因果を断絶すれば、ニヒリズムが生じて孤立させてしまう。かといって存在や自我に執着すれば、たちまち無常は見失われてしまう——。

移ろいゆくが留まらなければならない、そんな今日日の時節に見出すのは、散りゆく花に見出すことと同じでしょうか、それとも異なるでしょうか。「最も大切なことを後回しに」してしまわないように、無常の中で向き合い続ける。そんな風に過ごすのも、悪くないのかもしれません。

それはそれで、「最も大切なことを後回しに」しているようにも思えてきましたが・・・・・・。