現成受用、受け入れる

奥秩父の連嶺は、その延長と高度から言って、日本アルプスと八ヶ岳連峰を除けば、他に例を見ない大山脈——。甲斐、武蔵、信濃の国に跨がる秩父多摩甲斐国立公園の山岳地を、両神山より雲取山を経て、いよいよ大菩薩の嶺にたどり着くと、晩秋を抱き込んだ富士の峰の、その裾野のすべてを正面に置くことが出来たのだった

道中、山麓の国民宿舎に投宿したのだが、やはりそれとKKRの宿に旅の醍醐味はないことを強く改める。大体が当地に名湯はなく、長瀞以外の山河が地味とあっては特産品や土産物にも乏しい(意外にも「しゃくし菜漬」は美味であった)。かつて、埼玉の市町村を巡る出張にあたり苦悩した若き日を、宿舎でのつまらない夜に思い出していた。

他メーカーの進捗具合により、翌日の出張先が夕方に決められるという、なんとも悪戯なハラスメントを遂行することになったのだが、携帯電話はあれどインターネットの黎明期。日も暮れた頃に到着しては、駅前で幾度となく途方に暮れた。付近の宿泊施設に空きがないと、電話ボックスの黄色い電話帳を頼った。いよいよ困った地方で交番に尋ねるも、どうして歯切れが悪かった警官から聞き出したのは、「喫茶店」の二階で営まれていた宿泊施設だった。暗色の電飾が灯された部屋で不安な一夜を過ごしたが、それもまたいい経験になった。

 

コロナ禍にあっても参拝客で賑わう三峯神社を横目に、秩父宮さまのレリーフを見やると霧藻ヶ峰、白岩山へと尾根道は続いた。トラバースを経てようやく雲取山に取り付いたとき、昨夜が十三夜であったとすれ違ったハイカーに聞いた。今夜もきっと素晴らしいでしょうからと、ロマンチックが揺さぶられる。太陽を追いかけて出でる月と、暗色の帳が降りるのを天幕の中で待った。

暮れ方に水場が凍り、気温はぐんと下がった。明日の好天を約束する、星の燦然が万里のスクリーンに映し出されると、決まって明け方は冷え込むもの。昨日は氷点下五度まで下がったという。次第に、頬が冷たくなるのを痛みに感じた。じたばたすれば刹那の暖は得られたが、冷は痛みを増してぶり返した。しかし、どうすることも出来ないと諦めれば、不思議と体の内から熱を感じ始めたのだ。

感覚が薄まれば、痛さを感じることもなくなった。冷え切って、初めて自らの内を巡る血液の熱に気付かされた。それがとても熱いものだと知ると発心、——これが悟りか、ついに菩薩への道が拓かれる——と思いきや、背中に貼ったカイロが熱を帯び始めただけだった。

大菩薩の峠道は憩いへと通じていた。富士を正面に据えて満願を迎える。よく歩いた。三日に渡り好天が続いたが、それを幸運だったとは振り返らなかった。暑さ寒さも陽と陰のように交互に訪れ、季節は冬を迎えようとしている。その中に在る自分は、ただ受け入れるばかりであって、変える必要がないことに気付かされたからである。

私はもっと深く知りたいのだと、今夜は甲州石和宿へ下る。(さすがにこのご時世、宴席を催してコンパニオンを正面に置くことは出来まいと言いつつも)、——石和温泉へと下る。