自然の働きをとらえなおす

まさに末法の世であることを感じさせる昨今。人間は、この世を終わらせるために生じたのではないかと本気で思わせるばかり。予期せず止まった経済に二酸化炭素の排出量は大きく減ったらしいが、経済再興そのときを契機に臨界点へ——、取り返しがつかなくなる分岐路を進んでしまうのではと。

本格稼働の前提となる再処理工場の「恐ろしく無意味」な合格が、核燃料サイクルを推進させる従来路線に未だ固執していることを知らしめた。原発ゴミは捨て場もなければ、最初から捨てる方法もないのだから、解決しない道への巨額投資と多くの破壊が権益と私欲のためだけに切り開かれていく。ダム開発もまるで同じく、どうして必要な対策を施すことが出来ずに、自らの血税を持って破滅への道を進まなければならないのか。ああ!もう!パンクバンドからやり直したい気分だ。

本格的な雨の季節を前に、いよいよ出版された『洪水と水害をとらえなおす』。河川工学の権威である著者の集大成になるという書は、山川草木悉有仏性から始まり、自然の摂理を改めて受容することで、本来の意味をとらえなおす。そもそも洪水は自然サイクルの一つであり、洪水イコール水害ではない。領域を侵して営んだ「豊かな生活」、そこに浸みだした水に慌てふためく愚かさを著す。五十年に一度と言われる災害に毎年のように襲われる現代を生き抜く上で、非常に重要となるであろう一冊。早くも頁をめくる手が震えております!

ペットボトルを燃料に大豆を煮て、豆腐のような食品を製造している途上国の記事が朝刊にあった。安価で引き取られてきたゴミは石油で作られているから良く燃えるが、気体となってから大気を激しく汚染する。政府は燃料の代替にすることを禁止して監視も強化したが、それでも見えないところで「安いから」と燃料の代わりに燃やし続ける。私たちの便利で近代的な生活の裏では見えない汚染が音もなく広がり、遮る壁のない大気を巡って異常をもたらした。

ブナの原生林を切り倒した後に杉を植林したところで、餌の不足した熊が里へ下りて来てしまうのは当たり前のこと。白い氷塊は紫外線を跳ね返すが、氷が溶けた海の深い黒色は当然のように熱をたっぷりと吸収してしまう。そして海は、誰かと違って冷めにくい。

大地の上に立っていることを実感できなくなった現代人は、だから浮つき、嘘の世界に豊かさという幻を見る。実のない労働に憧れては大金、欲望、利己主義を平然と口にする。もっとも信用のならないWin-Winの関係——、もうそういうの本当にやめにしませんか? 勝つのではなく、負けないこと。災害に遭った時も大切なのは、同じこと。小さなポピュリストがアマゾンを焼き払う前に、そして大きなポピュリストによって分裂される前に、共に負けないことこそが、末法の世を生き抜く唯一の方法ではないか。

弥陀仏は自然のやうをしらせん料なり——。なるほど、自然を制御して生きているとは甚だ大きな間違いだ。自然、じねん、自ずから然り。身勝手な考えをすぐに捨て、その働きによって生かされていることを、今すぐに改めなければならない。あまり時間がないことを知らせるように、今年もまた大粒の雨が屋根を叩く。