協力は競争よりも

行きの電車の中でも「来るなよ、こっちに来るなよ」と、声には出さない牽制を「して」、そして「されて」たどり着いた。それは疑心暗鬼などではなく、互いの健康と未来ために。大きな会議室内でも距離を取っての着席が命じられ、再三にわたり長時間の滞留をしないようにと注意を促されて始まった「どうしても今日でなければならない」現場は、緊張感が高く、戦々恐々だった。

業務を終えて、胸を撫で下ろした。閑散とする歓楽街を抜けて駅へと戻る最中、店舗の休業を知らせる多くの張り紙の中には「ともに頑張りましょう」などとメッセージが添えられているものもあり、一番苦しいはずのところから発せられた良識とその勇気ある言葉にこころを打たれた。

——のも束の間、曲がり角で「カラオケ無料♪」ボードを掲げていた数名の若いホステスが距離を詰めてきた。何なんだ、この温度差は!

ダイコン

二週に渡って放送されたETVの緊急対談は、希望を持つことができる未来を想像させる内容だった。

リーダーの存在を失った世界秩序は分岐点を迎えた。この先は本当に大きな格差を目の当たりすることになるだろう。パンデミックは独裁政治の口実となり得、民主主義は緊急時に崩壊するという。全体主義的な体制が台頭する恐れがあることを指摘し、ハンガリーの首相に与えられた無期限の権限(警察を介入させて禁固刑を科せた)を例に挙げて、どの国も同じ危険性をはらんでいると警鐘を鳴らす。

総理大臣の記者会見で、自粛期間中に警察を要請しての取締りなどがあり得るのか、と問うたジャーナリストへの回答が、さっぱり訳が分からないという記事を見つけた。官邸のホームページで読んでみると、あれ、これって「上滑りする言葉」のようであり、空虚な言葉の羅列にも——。不条理が見過ごされるのはとても危険だと、学んだばかりではないか。

地方紙の特集連載にも、むき出しになった国家権力が懸念されていた。市民による相互監視が他者への不信を強めたときの政治が非常に危険であり、非常時と言えど政府にすべての下駄を預けてはいけないと。確かに、戦時下に顧みれば、過ちを繰り返すことはない。

連帯のルールは破られ、利己主義が破滅への道であることを明白にした今、経済は転換しなければならないという。イノベーションが「生きるため」の産業へとシフトする、その鍵となるのが利他主義である——。

「人の為にどれだけ尽くせるかが人間の証だ」

スマートフォンなどを生産するために必要な鉱物資源をめぐる争いの中で、性暴力による支配があることを世に訴えた、デニ・ムクウェゲ医師のその言葉が、私の中でずっと響いていた。非常に重たい言葉であり、いつも自己犠牲の精神を誘い出してきてしまうのだが、番組の中で経済学者や思想家は、利他とは「最も合理的な自己中心的行動」でもあるのだと続けた。他者の感染を防ぐことが、ひいては自分の安全に繋がることであると。

番組は知識人たちに人々への提言を求めた。

「人間性を失わないために犬を飼おう」「瞑想するのもいいだろう」

——(!?)思わずキョトンとしてしまい、言葉を失ってしまったが、もう一度考え直してみると「人間性を失わない」ためには、ゆとりとこころの余裕が必要であるという、とてもポジティブな回答だった。

個々の危機意識、その温度差の違いに向けて、振りかざされた正論や正義が圧力となり暴力と化したら、結局それは利己的な行動になってしまう。そしてその利己が利用され、全体主義や独裁政治に繋がってしまう危険性も——。

「他者のために生きるのが人間の本質であり、協力は競争よりも価値がある」

猶予はないが、それでも余裕を持って、考えて行動したい。