湯煙浄土は小銭の極楽

山は富士、海は瀬戸内、湯は別府——。前回、豊後を訪れたのは、照ノ富士が関脇で初優勝した夏場所だったから、五年ぶりになるのか。(自分史は相撲史で振り返ることができる)

共同浴場の天国である別府なくして、やはり日本の温泉は語れない。中でも鉄輪の湯煙には本当に言葉をなくすばかり。終の住処に別府を選ぶという温泉好きの話をよく耳にするが、私の中でこの湯煙情緒はいつまでも目的地であって、求める旅情なのであります。(もう泉質がどうのとかどうでもよか)

「時雨るるや 人のなさけに 涙ぐむ」

種田山頭火が行乞の折に詠んだ句碑が湯平温泉にあった。

午後には托鉢するのをやめて、花合野川に入って洗濯をした。読書にふけっていて時雨れてきたことに気付かなかったが、河原に干した袈裟を宿の娘が走って取ってきてくれた。ぐすん、ありがたう。

自由すぎ——。山頭火、自由すぎ。大体、九時から十一時までの托鉢で、午後は休養ってどういうことだ。湯はもちろん宿も良いから、よく飲んで食べて寝た。湯平温泉サイコー!とまで「行乞中の僧」の日記にありました・・・・・・。

受身こそ最大の自由、まさに何もないを遊ぶとはこのことか。真の自己を見つめるような生き方に触れると、石畳を踏む音にまだ感じ入ることがあるかもしれない。この日は朝から雨がしとしと坂道を伝い、湯の町に沁みていた。

 

入ったぞ、コイツ——。

訪れてみたかった九重九湯の壁湯に川底だけでなく、結局、筋湯と湯坪にも立ち寄った。(湯坪温泉の民宿村は何とも郷愁をくすぐる景観を維持していたが、宝泉寺温泉の石櫃共同露天風呂は無惨な姿に・・・・・・)

久住山をまたいで東側の登山口に湧く久住赤川温泉で、炭酸ガスを含んだ珍しい硫黄の冷泉を存分に味わった。言わずと知れた寒の地獄温泉では、残念ながら冬季に冷泉を楽しめないが(隣の星生温泉では17℃の硫黄冷鉱泉が楽しめる)、真冬の冷泉ほど「効く」温泉はない。感覚が一度死んでよみがえると、その度に強くなるのがよく分かる。冷泉と温泉の交互浴を繰り返せば、そのうちバカになれるというもの。

久住赤川でも星生でも、躊躇うことなく冷たい方へ身を沈めた私に、他の客は目を丸くしていた。

「湯の原の雨 山に満ちその雨の 錆の如くに浮かぶ霧かな」

炭酸泉の名湯、長湯温泉での朝も雨に打たれた。煙るほどの雨ではなかったが、芹川に浮かんだ湯船を満たした淡い錆色の湯が、まだ湯原と呼ばれていた時代に与謝野夫妻が詠んだ情景と重なった。

万葉集や豊後風土記にも登場する古湯にして、昭和初期にドイツとの温泉文化の交流を深めて、長湯温泉は飲泉の効力を引き出した。設けられた飲泉場はヨーロッパ調の造りで、口に含むと弾ける源泉の驚きと相まって、より保養的な温泉地であることを植え付けられた。

そんなラムネの湯で長湯をしていると、偶然にも「トークショー」の開催を知った。大分と言えば郷土の力士、嘉風だ。なんとも残念な事故で負傷し(しかも地元産業への貢献中に負傷したという・・・・・・)、昨年に現役を退いて年寄中村を襲名。そんな嘉風こと中村親方が偶然にも来県中とのこと。大相撲ファン、歩けば豊後で嘉風に当たった。

 

帰省の日の朝、早起きして別府温泉の発祥である浜脇へ向かった。まだ薄暗い中、集まり出す地域の住民に交じって共同浴場が開くのを待った。知った顔同士の挨拶が繰り返される中、温泉が地域の社交場であることをあらためる。温泉という恵みをもって結び付いた人々が、裸で向き合い湯に浸かり、ほっこりと水に流してゆく。そんな極楽には百十円という小銭でたどり着ける。なるほど終の住処にと、やはり私にも思わせることがあった。

青い特急ソニック号がホームを滑り込んできた。やった!帰りは古い方だ。その車両のカッコ悪さに驚嘆し、振り子式のアーバンライナーに今、激しく揺られているのであります。(もう帰りたくなか)