九重連山、火宅の苦しみを越えて

鎌倉時代を開基とする天台密教の一大霊場にして、早くから山岳信仰が栄えた九重の連なる山が、幾重にも折り重なるようにして行く手を阻んだ。神男女狂鬼、様々に姿を変えた連山が自らのことを語って聞かせては、慰めてくれぬかと私を離さないのだった

九州を代表する温泉郷より、山塊の盟主久住山と九州本土最高峰の中岳を越えて、坊ガツルの湿原に湧く秘湯、法華院温泉を目指す。言わずと知れたミヤマキリシマの大群落や秋の紅葉、そして厳冬期の霧氷と、多くの人を魅了する九重連山の唯一の閑散期とでも言えるようなこの時期に、あえて訪れた温泉ファン。もちろん「独泉」するために。果たして、その煩悩と魂を鎮めることはできるのか——。

長者原からタデ原湿原を抜けて、諏蛾守越から連山の中へと入り込むと辺りは一変した。三俣山を真下から仰ぎ見る北千里ヶ浜は、まるで重機が入って整地したような平らで、雪解けの水がどちらの方へ流れて良いものかと迷い漂っていた。

草木がほとんど見られない荒涼に、ケルンで標された道がどこか異界へと繋がるように続いている。怪しい臭気を放ち、静かに噴煙を立ち上らせた硫黄山に畏れると、天孫降臨はこの九重の山にあったという仮説を思い出した。

見上げた主峰に急な雲がかかると、峠道で絞られた汗が一気に冷えて体温を奪われた。二月の強くて厳しい風が冬の男山に吹き付けてきて、思わずその風に背を向ける。すると、そこには春暖に芽吹いたような女の山があった。めまぐるしく世界を変えて見せた連山は、火口跡にたたえた湖水をも狂わせて、氷の世界まで作り上げていた。

 

久住山の山頂から中岳に続く天狗ヶ城の吊り尾根を見て、翻意を促された。見事なアーチを描いたその吊り尾根は、浸食された三日月のように、あるいは鬼が沸かす地獄釜のような落差を持って待ち構えている。あそこを登るにはまず、あそこまで下り、それ以上に登り返さねばならない——

「いやぁ、つらかとですね」

鬼のような大男が笑顔で話しかけてきた。辛いとは裏腹に、その顔はなんとも晴れやかで喜色満面だった。

「ちょっと、曇ってきてしまいましたね」

中岳の上に無作為に積まれた岩群を深い霧が覆い隠していた。これでは山頂からの眺望は望めないだろう。

「よかよか。それでもよか」

 

白蓮華のように最も勝れた正しい教えを眼前にしても、私の煩悩は未だ凍えるようにして震えていた。

法華院温泉は山中にありながらも立派な山荘で、もちろんベッドやテレビがあるわけではないが、大きな窓があり、なんと暖房器具が備えられていた。山の夜はとても冷えるそうで、どうぞ暖かくしてお休みくださいと丁寧に案内されたのだが、暖房の電源は入らなかった。

ああ、そうかと、抜かれていたコードのプラグを持ってコンセントを探すもどこにもない。まだ登山者を迎え入れていなかった隣の部屋を覗くと柱にあった。コンセントは廊下にもあったのだが、やはり私の部屋にだけ見当たらない——。

冬季は別途、暖房費をいただきます——、めまぐるしく感情が渦巻いて、私は嫌な熱さを隠せなくなっていた。

神でもきっと憤る理不尽に男らしくはいられず、女々しく恨んでは物狂いに思うばかり。たとえ九重の秘湯といえど、凍える鬼の心を溶かすのは容易ではないだろう。引き戸を開けたまま、廊下のコンセントを目指して暖房のコードを引いたが、やはり届かない。(届いたところで戸が全開という)——そういえば私だけ、食後のデザートも届かなかった。

唇を紫に震わせて取る朝食の味と言えば、なんと表したらよいのだろうか。箸を持つ手も凍えている者の前に、「昨晩、出すの、忘れちゃいました」へへっ、すみませんと、いたずらなアイスクリームが運ばれてきた。ついに私は、私の限界を超えた。

 

 

よかよか。そげんこつよか。

曇りの日でも雨の日でも、心乱さずに受け容れることが、如実知自心を教えてくれる。実のごとく自心を知れば、ありのままの己の心を知ることができる。他者への怒り、執着、利己的な欲求の煩悩、それを振り切ることができないと知ったとき、私はあのときの見事な笑顔を思い出したのだった。

火宅の苦しみを乗り越えるようにして、朝日が大船山を登り切り、坊ガツルの湿原を照らし出した。