俳諧的に生きる

狂言のみの講演はあっという間に終演し、物足りなさを感じながら帰途についた。だからついついつられた「晩酌セット」。小上がりとカウンターのみの小料理屋は女将が一人で切り盛りしていた。一杯と三品が付くセットの内容は赤星の瓶ビールが出てきて、煮物におひたし、焼き魚というから嬉しいじゃない。これはきっと、お燗は薬缶で湯煎してくれるはず。「この辺にお住まい?」残りのビールを女将に注がれてグラスを空けた。

「この辺りの者でござる」

お能とは違い、主人公が名も無き庶民である狂言は、大体その一言から始まる。だからついついつられて気取ってしまったのだが、「だったら、いいお酒があるのよ」と女将。カウンターで胸を膨らませて待つも、チン♪虚しいその音が期待に穴を空けた。レンジで温められてきたその酒は、なんだか炭臭く、味わいが少ない上にベタベタとまとわりついては離れない・・・・・・もしかして、新潟清酒?「ご名答!」

「苦々しい!」

いざ鎌倉というときに、ズッコける性分は相変わらず。年末から休みを完全返上にて労働するも、大相撲初場所のきっぷを買いそびれたというのだから、早くも一年の計は危うい。五年を目安に買い換えているパソコンだったが、古いマシンを箱にしまうときに出てきたレシートの日付を見て驚愕。何を勘違いして大枚を叩いたのかと嘆くも、データ移行時に出てきた古い雑記に腹をかかえていた。まったく、自分で書いたものを自分で笑っているのだから、救いようがないじゃない。でもやっぱり、書くのは読むのと同じくらい楽しい。

昨年読んだ本の中で一番印象に残った言葉は「俳諧的に生きる」。俳諧的に生きるとは、あらゆることを和とユーモアの視点で読み直し、困難やトラブルまでをも「面白くなってきたぜ」と受け取ること。そうか、それを面白がらないなんて、もったいないことなんだ。

考え方一つで、生きる方向なんて簡単に変えられるし、変えていいのだと気付けば、心底面白くなってくる。非常に簡単なことなのに、これが容易にはできないのだから、やっぱり人間は自由の刑に処せられている。だからちょっとやべぇトラバース路で、私はいつも及び腰になっていたのか!(ほんとうはそこが一番面白いのにね)

この辺りの者でない者が苦々しく顔を引きつらせて、郷土の酒を飲まされている。出された煮物は半煮えで、おひたしは水っぽい。焼き魚はほとんど黒焦げ・・・・・・おっと、俳諧的に生きる、だった。「面白くなってきたぜ!」

——こういうのも、そうなのか?