復興応援ローカル鉄道の旅

台風の被害により長野原草津口から大前間を繋ぐ代行バスに乗り換えて、ようやく万座鹿沢口に到着した。鉄道各社のフリーきっぷを駆使して、ローカル線を乗り継いで行く冬旅は万座温泉へ。翌日はバスで長野に下り、軽井沢からはしなの鉄道と上田電鉄を乗り継いで別所温泉、北向観音での厄払いにて大願成就。鉄橋の崩落した上田電鉄の路線でも代行バスへの乗り換えを余儀なくされるが、復興応援の意をその大願に掛けていた。

久しぶりの万座温泉だが、今回はいつもの湯治宿ではなく「ホテル聚楽」だから「バイキング」ときたもんだ——。ホテルが引いた源泉は弱酸性の硫黄泉で、希少な正苦味泉「苦湯」を引く万座の湯治宿と比べて物足りず、客層もファミリーが中心で忙しない。それでも魅力だったのは、冬季限定の無料送迎サービス。行きは万座鹿沢口から、帰りは軽井沢までのバス便が無料というのだから、宿泊代金なんてタダ同然じゃないか。

「近づくと死ぬ」ほどに濃厚な硫化水素ガスを吐き出す、名勝「空吹」を間近に望む客室はなかなか壮観。満天星の降る露天風呂には小動物が雪を踏んでいて、向こうを見やれば月明かりに反射する妖しい気配とその瞳。キツネだろうか。まるごと自然からの恩恵で成り立つ、さすがは硫黄含有量国内一の万座温泉。逆に入りやすかったホテルのとろけるような硫黄泉に、なんだかんだ朝食バイキングまで大いに楽しんだ。

軽井沢のショッピングモールには目もくれず、しなの鉄道の改札を抜けた。「おお!峠のシェルパ!」さっそくホームで国鉄EF63電気機関車がお出迎え。かつて、信濃川と利根川の分水嶺を越えた力強い機関車はもちろん展示車両だが、多くの国鉄115系が未だ走り続ける旧車両の墓場、しなの鉄道——。

デンデラ野は遠野物語の姥捨て地だが、野に送られたところで人はそんなに簡単に死ねるものではない。だから、昼間は家族のいる里まで下りてきて野良仕事を手伝い、日が暮れるとまた野に帰って行ったという。しかし、しなの鉄道にそんな哀れみはなかった。旧車両は今も市民の大切な足となり、週末には多くの観光客を運ぶ。どこかほっとするような古さの中には、やはり経年の劣化は目立っていたが、浮き上がった塗装も錆もなんのその。

♪ア キタホイ 来たよで来ぬようで 面影立つよで オーサ ドンドン♪

賑やかな民謡の囃子につられるようにして、列車は車窓の浅間山を追い越し、信濃追分を走り抜けて行った。

小海線に乗り換えて、中山道の岩村田宿とくれば、昼食は佐久の鯉。街道を吹き抜ける冷たい風と千曲の清冽な水に鍛え上げられた冬の鯉を楽しみにしていたのだが、目当ての専門店はまさかの閉店廃業。若い人は鯉料理など好んで食べないのだろう。国道沿いや駅前にはフランチャイズの店舗が軒を連ね、どこで食べても同じ味、どこの店も同じ構えで入りやすい、そういうのが求められる時代に物悲しさを覚えるばかり。ご当地ラーメンなどの開発も結構だが、残さなければならない名物や名産品には文化と伝統が詰まっていることを忘れたくない。

バタリと落ちた上田電鉄の鉄橋を代行バスの中から覗いた。脆くも崩れた堤防に「土建国家」の、さぞ誇り高き威信を探すも、それは無駄の反対に注がれてこの度、簡単に満水となった。まったく、おかしなことが多すぎる。真理は一体どこにあるというのか。

北斗星に因み、北を向いた珍しい観音堂での参詣は現世での功徳となり、向き合って南に開かれた善光寺は来世での往生を祈願、二つ併せて成就となる。北向観音の湯垢離場(ゆごりば)である信州最古の古湯、別所温泉。枕草子に登場する「ななくりの湯」は伊勢の榊原温泉だとされるのが通説だが、ここもまた「七苦離」のいわれを残す。

古き良きを今に伝える、静かな境内から湯の町を見下ろせば、湯煙がほんのり硫黄泉の香りを届かせた。

牛に引かれて善光寺とは良く言ったもので、鉄道に揺られて旅すれば、あらためて日々を振り返る。災いのない平穏こそが大願であり、尊いのは変わらぬ風景、そのものだった。

土地のカップ酒やらを楽しみ、変わらぬ風景に会話を弾ませれば、鉄道旅は最高。帰りは特急を利用したが、それでも一人ぴったり一万円の交通費也