散財を考える〜米国セールに学ぶ

日曜カルチャーラジオに能楽師、安田登氏登場。「人間を考える〜古典に学ぶ」と題して始まり、まずは藤原定家の明月記から読み解いていく。新古今集の白眉である定家の短歌「梅の花 にほひをうつす袖の上に 軒もる月の影ぞあらそふ」も挙げ、梅の匂いの嗅覚と月光の視覚とが袖の上で争っているというこの不思議は、まさに共感覚であり、元々人間の五感にはあまり差がなかったのではと話は進む。

共感覚とは、一つの刺激に対して二つ以上の器官が反応して、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感が混合してしまうこと(この回のゲストもアルファベットに人格が見えるという)。いわゆる天才や芸術家に多いとされるこの共感覚だが、定家の歌がもっとも「共感」を得られたであろう平安・鎌倉時代には、やはり今より五感の隔たりはなかったのかもしれない。では、これからの私たちの五感は一体どうなっていくのか。

感情がすぐに情報化され、瞬きする間に拡散されて行く現代。咀嚼することもままならず、瞬時に巨大な潮流となった渦中に流されてしまうばかりなら、確かに感覚は大きく機能しなくなるのかもしれない(というより、機能させなくてもよくなるのか)。肉体的な労働が減り、明らかに衰えた現代の身体。感覚の麻痺がついには思考を停止させたとなれば——

ラジオを聞きながら勝手に妄想してしまい、肝心なところを聞き逃してしまった。しかし、なんだか自らをも失いかねない危うい時代を生きているのだと改めさせられた。代表的な共感覚者である宮沢賢治は、首からペンとメモ帳をぶら下げて山に入り、松尾芭蕉は奥の細道へと急いだ。自然から発せられる声を聴き取る力に、取り戻さなければならない「何か」があるように思えば、だから焦った米国でのセール。開始とともに、イマドキはあまり聞かなくなった「爆買い」にて候。

新しいザックにテント、釣り具やキャンプ道具に加えて、余計な物まで小分けで届き出すと、私はまた何か大きな間違いをしていることに気付いた。だが、もうすでに感覚が反応しなくなっていたということにして、来季の計画を立てている。

さぁ、今回の古典は源氏物語。観世流の謡を習う内田樹氏をゲストに招いてというのだから、なかなかアレな源氏物語も面白くなりそう。