未来の太公望たちへ

SDGsは持続可能な開発目標、そしてESDは持続可能な開発のための教育のことを指すのだが、ねぇー。こういうの、日本語でもっと分かりやすく、親しみ深く表現できるだろうにと、今回のシンポジウムはあまりパッとしないテーマで開催。郷土の大きな特徴でもある「湿地帯」をより豊かに残し、そして次世代へ繋げるためにはどのような教育をして行けばよいのか。高齢化するのは各団体の主催者だけでなく、参加者も同じこと。残念ながら、若者の姿は多く見られない。

そんな中に今回は、湿地での教育プログラムが実践されているという中学生たちが参加。座談会の最後に是非、青少年の意見をと白羽の矢が立てられた科学クラブの副部長。大きな期待を背負ったはずの男子が視線を落として呟いた。

「——別に」

主催者、パネリストたちは凍り付き、参加者は全員ズッコケて閉幕したという——。

そう、難しいのは興味のない人たちをいかにして誘い出すか。そして魅力を伝え、環境保全の大きな意味を共有すること。本気になって水辺で遊んだ(遊んでいる)大人たちの感動体験だとしても、そのまま渡すだけでは先の通り、押しつけになるだけかもしれない。次世代はまた自分たちで考えてこそ、時代にあった形での保全の道が拓けるはずだが、「人が大切に思わないものは捨てられていく世の中——」の語りは、我らがあの名作釣りビデオの冒頭。そうならぬための教育がやはり必要だ。では、どうしたらいい?

私が子供の頃は、ルアー釣りがブームだったというのも大きいが、特に水辺に近い環境からか、ほとんどの男子は池や湖で大物を狙い、それを釣り上げた奴が輝いた時代だった。一センチでも大きいのが釣れたと聞けば「ホントか?殴るぞ」、隣の学校区の連中ともよく揉めた。白河の関は越えさせないと言わんばかりに、仲間たちと自転車で釣り場を見回った。

鋼矢板護岸の川で落ちて上がれず、死にそうなった子もいれば、陸続きで歩いていたはずなのに、次の一歩で頭まで沈んだこともあった。まさしく底なし沼の恐怖、ヘドロは重油のごとく真っ黒で異臭を放っていた。そうそう、特に汚染されていた時代の、最も汚れていた水環境を知っている世代にも関わらず、それでもやっぱり面白かったなぁ。そして、未だに遊び足りていないのだ。

アンケート用紙の欄で筆が止まる。どうしたら、何をすれば大切に思ってもらえるのだろうか。鉛筆を唇の上に乗せて、しばらく本気で考えてみた。

 

「世界の太公望シリーズとか丸橋英三がターポンを釣るとか、そういう番組を再放送する」

——バカなのか、俺は。