災難をのがるゝ妙法にて候

名水の町だという越前大野。山中温泉までは車で一時間ちょっとで行けるが、知らない町を知らないまま散策するのも、たまにはいい。駅前の旅館に予約の電話を入れる。宿泊代金は七千円、夕食は付けなくていいと伝えると一割引だという。一割引で五千円になります。ぇ、五千円?知らぬ間に、新しい計算方法が越前大野で編み出されたのか、それともどんぶり勘定なのか——。早くも面白くなってきた。

そんなどんぶり勘定なら楽しいが、一昼夜にして満水となった巨大どんぶり、八ッ場ダム。その姿が映し出されるとネットでは、まさかの「ダム称賛」が溢れたのだから驚いた。そもそも利根川の規模を知らない地域の人ならまだいいが、下流域にあたる首都圏からの声であるとすれば、恐ろしいこと。まったく逆で「あの程度」でしかない、ダム建設における治水力を問い直すべきなのに、だ。六十余年の歳月と、五千億円を超える事業費は借入金の利子などを入れると一兆円近く。これ見よがしに現地を視察しアピールする為政者らの姿にも、さすがにもう騙される人などいないだろうと思っていたのだが。

「なんとなく、クリスタル」な田中康夫県政時代(どうして私はこの本を何度か読み直している・・・・・・)の脱ダム宣言。河川に溜まった土砂を取り除く浚渫(しゅんせつ)、堤防のかさ上げに護岸の補修、遊水池の造成という金と時間を掛けずに、かつ自然に近い形での治水方針へと舵を切ったのだが、退陣後、オリンピック道路を通すために浅川ダムという用をなさないダムが造られ、結果はご承知の通り。まだ新しい新幹線の車両を水の中へと引きずり込んだ。

山川草木悉有仏性から始まる「日本人の伝統的自然観と治水のあり方」によれば、百キロの堤防強化改良しても六十億円。利根川下流の堤防総延長の四百キロでも余り有る、ダム一個の費用で十二分に強化できることになる、とある。堤防強化により越流のリスクを減らし、破堤し難い堤防に改良すればそれだけで水害は劇的に減少する。もちろん費用はダム建設に比べて相当な安価である。

そして「死ぬ時節には死ぬがよく候、是ハこれ災難をのがるゝ妙法にて候」良寛を引用し、もう一度、自然に対して謙虚になることを説いている。抗わず受容することで被害を最小限に抑えるのだと。

二年ほど前に高台に移された川原湯温泉を訪ねた。そこに在ったのは何の歴史もない新たな掘削泉(旧源泉は自然湧出泉)と、快適で味気ない温泉施設だった

歓迎 ようこそ・ダムに沈む 川原湯温泉——「八ッ場ダムは止まるか」は八ッ場には涙の乾いた痕があると続き、休日に都会から来る人にはわかってもらえないと、平日の一日中に響く工事の轟音を振り返る。

発破をかけたときは空気が震えるよ。それこそ休みなく、カーン、ダーン、バーン。ここに住んでいる私たちにはもう逃げ場がない。ただただ切ない気持ちでいっぱいです。いまではバーンという音がするたびに、出てゆけ、お前たち出てゆけ、と言われているような気がしてねえ。

故郷を追われるのはいつでも、人間らしい営みを自然の中で細く長く続けてきた人たちばかり。金銭を持たぬ、もっとも豊かな人たちに刃を向け、追いやり、心の上に刃を乗せて忍ばせた。それは罪ではないのか——。

山を歩くと舗装路の硬さがよく分かり、川を渡ればその流れの強さに思い知らされる。私たちの足もとを固めたコンクリートの靴下には元々、穴が空いている。満水の濁流を伴い、かえって勢いよく下流域の氾濫原を目指してくることになるだろう。