きっと津軽の女、もしくはオンドルの

小屋の窓を全開にして誘い入れられた夏の夜風に導かれると、照り輝く満月の中にやはり兎はいて、ほんとうに杵を持って餅をついている。「想像の余地がある」と赤毛のアンが言うように、そこでは自然景観の中に描き出せる想像力が自由を伴い、泉となっていた。造られた物の中で窮屈に耐える力の解放は、山や川、森にある。緑の夏のみちのく路、三つの山に求めた

 

登山口には「日本山脈縦走起点」と記されており、ここから秋吉台までをつなぐとあったが、つい一昨日まで山陰を旅していただけに感慨も一入。酸ヶ湯温泉を擁する八甲田にはそれを目当てに毎年訪れており、山には冬にも登ったことがあるのだが、ロープウエーを使ったりと、しっかり自分の脚で歩き通したことがなかった。酸ヶ湯温泉から山系を縦走して谷地温泉を目指すのが理想だったが、昼過ぎの到着で気温はとても高くなっており、大岳から毛無岱へ下りてくる一周コースを歩くことにした。それでも、酸ヶ湯から酸ヶ湯を目指すと書いてなお、えも言われぬ力を感じてしまうのは、やはりここが別格の温泉地だからだろう。

仙人岱までは勢いよく登ってきたが、酷暑の中で流した滝のような汗が仇となり、次第に気力をも奪い始めた。山頂が遠のいていくように感じると、坂の勾配はやけにきつくなる。乱れた呼吸に問うことは、どうしてどうしてと、進んで辛い坂道を歩いてきたそのことで、後悔のように募っていった。

やっとのことで山頂にたどり着いた。歩いてきた坂道が眼下に長く続いている。こうして振り返ると、今立っている自分の場所を知ることができた。そうか、それを知るために登ってきたのか。

津軽富士こと岩木山は、どうしてこんなにも美しいのだろうか。特に夏の岩木山が格別に美しいのは、厳しい冬があるからに違いない。津軽の冬に、そして夏の岩木山に思いを馳せる私の先の世は、きっと津軽の女。独立峰を跨ぐようにして名湯から名湯へ、津軽嶽温泉から百沢温泉をつなぐ。

嶽温泉の宿泊先を早朝に出立すると、朝日は深い森の中でその木漏れ日を、朝より朝らしい淡い黄緑色に染めた。八合目のスカイラインが開通する時間までは、登山者しかいない静かな山の道。色々なことを考えながら歩いてきたが、答えはどれも前向きになった。快晴にて山頂は抜群の眺望、色の濃い日本海に負けじと青い空が水平線を競り合っていた。

 

八幡平まで下ってきた。昨年の晩秋、裏岩手縦走路を歩いたとき、すでに営業を終えていた大深温泉。今年は盛夏にそのオンドル小屋に宿ることが叶った。オンドルとは地熱を利用した床暖房のことで、岩盤浴と同じ利用法で温泉浴とともに有効な湯治方法として利用されている。中でもこの大深温泉のオンドル小屋は、時代の流れに左右されることのない質素にあって、日本人の琴線に触れるようにある。もしくはオンドル小屋の娘だったのではと思い出す。

暗くなる前に食事を済ませて、暮れたら床につく。干渉しないのはわずかな隙間だけの雑魚寝だが、とても静かな夜が始まった。寝転ぶと床はじんわり暖かく、時折吹き抜けていく夜風がまるで露天風呂のように心地良い。ひとたび窓を開ければ、洪水したかのような喧噪が入り込んでくる快適生活を思い出し、こんなにも静かな夜が奪われていることに愕然とした。

隣りの老夫婦がその風を少し寒がって、右の窓を少しだけ閉めた。しばらくすると静かな会話が聞こえてきた。窓が開いている方に「あっちが開いてる」「こっちが開いてる」と話しながら吹いてくるのだから、夜風はきっと生きている。なんだか楽しくなってきて、だから今夜は眠らずに、ずっと起きていようと月の軌道を追いかけていた。