混沌の古典芸能

休暇中に観た能の演目は三輪と羽衣。三保の松原を舞台に天女が舞う優雅な曲に、駿河湾に打ち寄せる穏やかな波と松林越しの富士の景観を思い浮かべては、まだその景勝地を訪れていないことに気付いた。休み明けの出張は迷わず、静岡に手を上げた。

情景を映し出す古典芸能は、民謡もまたしかり。夏のあいだは毎晩、温泉街の常設ステージにて民謡安来節を観光客に楽しませる玉造温泉。観光旅館の中でもラウンジをミニステージにして郷土民謡が催されたが、出雲地方に古くから伝わるという「銭太鼓」どうしてこれが心の内に迫ってきた。竹筒の中に五円玉を入れて激しく打ち鳴らされたそれは、さながらS.O.Bの♪Leave Me Alone——。衝撃の展開を引き連れて「世界最速の民謡」へと、銭太鼓はリズムを加速させて行く。

頭をかき乱し打ち鳴らされたグラインド民謡に、ラウンジの柱はその絢爛な装飾をまるで十字架にして、怪しく浮かび上がらせた。「銭太鼓」と殴り書きの腰巻きがバンド・フラッグに見えてくると、ここは戦火に焼け落ちた教会なのか——?Do you remember HIROSHIMA? Do you remember NAGASAKI? 八月に歌われた非常に重いメッセージソングのごとく、熱い何かを込み上げさせる民謡とは、カオスの内にあって、とんでもない熱狂に満ちていた。

狂言師、野村万作が月末のテレビ番組で、台詞や動作を少なくして「豪華に見せる」のだと語っていた。それは観客の想像に委ねるためであり、そぎ落とされた表現が観客の想像力をかき立てるというのだ。

知らぬ街で間違えて入ってしまった、非常に味の濃いラーメン屋で苦悶のまま麺を啜ると、隣りから吐き出されてきた紫煙に大きく咽せた。隣りで広げられていた「少年何某」と題された漫画誌が、勝手に動いて、話して、中年男性に項を捲らせている姿はつまらなそうに映った。

簡素な舞台装置を使う能もまた、想像力をかき立てるために簡素なのである。三輪で使われる作り物は、四本柱に括り付けた杉としめ縄、紙垂(しで)だけで、三輪の社に神木である杉をあなたの想像により、豊かに膨らませてくださいというのだ。それでも、その簡素な舞台装置から出てきた神、三輪明神が何の違和感を抱かせることなく「ああ、あれは神だ」と思わせるのだから面白い。見えないものまで見えてくるという想像の楽しみ、捉え方により無限である楽しみ方は、やはり自らに委ねられている。

さて、思い浮かべた三保の松原。実際はどんな景観なのだろうかと楽しみに、受け取った切符は「盛岡」行きだった。俺の松原を何処へ——。♪この想いを何処へ——

黒川能の流れをくむ村民による郷土芸能もこの夏に鑑賞できた。演目は烏帽子折で大曲が多くかかるというから驚いた