山陰古湯巡り

往事を偲ばせる写真が町の所々に飾られていたが、小さな港町である岩見の温泉津温泉は、今日も静かなままで夕焼けに染まるのだろう。写真の中と変わらぬ静けさを今に閉じ込めていた山陰屈指の薬湯は、温泉津と書いてゆのつと読む。妙好人、角を生やした浅原才市の銅像が微笑み合掌するその先に、火の出るような熱い湯はあった。共同湯、元湯泉薬湯で温泉ファン(とくに熱湯を好む)が至福のうなり声を上げたこの夏、山陰にて燃ゆる。

 

浴槽の表面で、何やら怪しい油膜を浮かべた自然湧出のナトリウム塩化物泉が、尚も湯の温度を逃がさぬようにギラリと光った。高温浴槽の方はもう見るからに湯の色が違い、その濃さ、その熱さを間近にして、体には悪寒のような緊張が走る。先に上がってきた中年の男性が体表を真っ赤に染めて、首を横に振った。「これはアカン」「ぬるい方でもアツいで」そう言って脱衣場に倒れ込んだが、それを見て鼻を鳴らした私だったから、自分でも少し恐ろしくなる。那須湯本鹿の湯にまだ余裕を覚え、草津白旗の湯にも白旗は上げず、湯ノ花の石湯を肩まで浸かってきた。温泉津と同じく、世界遺産の温泉地である湯の峰のつぼ湯も、当然加水せずに堪能した。フフっ、だいたい年間の温泉入浴数が違うよと得意げに、湯桶で掬って勢いよく肩口にかけてみせた。

!!——っ熱い!異常なほどに熱いだけでなく、ずしりと重いその泉質がとてつもなく濃厚で、これは体よりも先に頭の方が逝ってしまうやつではないのか——

「二分以内が適当」

浴室に掲げられた注意書きにはそれが適当だとあった。う、嘘だろうと、ゆがむ頭から鈍い湯気が立ち昇る。この本物の温泉に、二分以上も浸かることのできる人間が山陰には存在するというのか。ほとんど泣きながら遠い百二十を数える間、脳裏には妙好人の微笑みが迫ってきた。

「わしが阿弥陀になるじゃない、阿弥陀の方からわしになる」欲はなく、それゆえに喜びに満ちていたという才市の歌が聞こえてくると、少し楽になってきた。六根清浄の穏やかな波が打ち寄せる温泉津の恵みに、最後は意識が遠のいた。

希少な炭酸泉の小屋原温泉はその炭酸泉らしいぬる湯で夏の湯浴みに最適

たったの一両で走る山陰の上り列車だったが、それは哀愁というより、明るく輝いては希望に満ち、夏の海岸線を行く。赤い石州瓦が敷かれた人家と日本海のその青さが、どこか異国の情緒を思わせて、まるで知らない日本があったとでもいうように心を動かされた。たおやかな美肌泉が自然湧出する有福温泉もまた、石畳の坂の上に赤い瓦屋根の町が積み木のように積まれた景観でいて、見事に山あいの自然との調和が取れていた。そんな福の有る古湯を吹き抜けてゆく風に湯上がりの涼をとっていると、確かに風は瑞相を匂わせるように爽やかだった。

長門湯本温泉は再建中で、残念ながら共同湯の恩湯は取り壊されていた。歴史的にも見どころの多い長州の町並みに金子みすゞ、湯田温泉の中原中也までも飛ばしてしまい、三泊の行程では(三瓶温泉には立ち寄ったが)三瓶山にも登れなかった。再建された恩湯を楽しみにして、再訪することにした。そのときは航路ではなく、もちろん鉄路で。

川床で湧き続ける出雲湯村温泉はノスタルジックな景観。そして全牛乳ファンを卒倒させる木次の牛乳が湯上がりに楽しめる

俵山温泉までやってきた。内湯を持たない宿が寄り添う静かな湯治場は、東北のそれとはまた違う時間軸にあるようで、きっと一年の季節を穏やかに刻むのだろう。自然湧出する名高い療養泉はぬる湯にて、じんわり汗ばんできた。長い滞在を有効とし、大きな恩恵を受けられるという俵山の湯。急がず、じっくり腰を据えて、静かに待つ。結果を急ぐ今の世に、足りないのはそんなことなのかもしれない。

狭い路地裏で大切に残されてきた町並みこそ、日本のノスタルジック。旅人が求めた想いを埋める湯の町に、日本の奥深さを感じてならないのだ。