尾瀬の輝き、とこしえに(小さな旅ふうに)

好きな飲み物、酒。好きな食べ物、酒粕。趣味は旅行——。ご当地の美味しい物や地酒に温泉にと、旅ならではの趣も、宿泊費を浮かせた昨今の車中泊というのでは、まったく味気ない。旅情とは、路銀の多さ少なさに左右されるものではないが、なにかを浮かせようとすれば全体的に浮いてしまうもの。動かぬ風景に只はらはらと涙があふれてしまうような旅先での思いを、まだ夜行列車が走っていた頃の薄暗い車窓のあの世界観を、はたしてどうすれば取り戻せるのだろうか。

上州と越後を結ぶ普通列車に路線バス、銀山湖からは観光船を乗り継いで尾瀬へ。二つの百名山、燧ヶ岳(ひうちがたけ)から至仏山を跨ぐ尾瀬沼と尾瀬ヶ原の山旅は、湯之谷温泉郷から尾瀬の赤田代温泉を経て、片品温泉郷へつなぐ。山中二泊にて、自らの足と青春の18きっぷを頼りにして行く。

東北以北最高峰となる燧ヶ岳は複数のピークを持つ、見るからに荒々しい火の山。尾瀬はこの山の噴火を発端として形成され、堰き止められた水が尾瀬沼となって、今は穏やかに燧ヶ岳をなだめている。この先、北海道まで行ってもこれより高い山はないと自負するだけあり、誇らしげである山は湖沼を従えているようにあるのだが、人の往来が少ない静かな湖南から見上げると、湖面はおどけるようにしてその山を逆さまに吊していた。

尾瀬の象徴であるニッコウキスゲの群落は、八月に入ると随分と数を減らしていた。それでも、儚い一日花である黄色の可憐そのものが湿原の中で広げた尊さに触れると、どうしてここが楽園と呼ばれるのかを深く心に留めた。

 

見晴新道の分岐を抜けると、いよいよ尾瀬ヶ原に出た。輝く清水を池塘に湛えた、広大な湿原の奥に至仏山は座っていたが、これといって主張するわけでもなく、真っ直ぐに燧ヶ岳を見つめている。振り返れば、燃えるような山が物言いたげにして見下ろすが、それにも動じない山は仏に至ると書くその名に恥じない。対照的なその二つの間を、尾瀬の歩荷が静かに往来する。

至仏山の急坂で汗を拭う度に、何度も振り返った。朝もやの中で薄く輝く池塘のまばゆさは、到底カメラには収めることのできない光量で、自身の双眼を見開いて焼き付ける他なかった。

 

対照的で相容れないような二つの名山と尾瀬沼と尾瀬ヶ原。それでも互いに違う個性を認め合い、共にある湿原なのだとすれば、寛容である尾瀬のその広大さに改めて心を動かされる。人もまた互いに違うもの。自分とは違う、その違いを受け入れ、理解に努めて行かなければ、多様な種が芽吹くことはないだろう。列車にバス、観光船を乗り継いで歩いた夏の尾瀬。静かなるその旅情を、歩荷が運ぶように、大切に運んで帰途についた。

沼田の駅周辺まで下りてくると、紅白に飾り立てられた街並みに、今日が沼田の祭りだと知らされた。「天狗みこし」の沼田祭りとくれば、赤城山を挟んでの隣り街では「民謡八木節」の桐生八木節まつりだ。上州の夏を彩る二つの祭りが同日の開催にて、互いを盛り上げる。土産屋で何気なく買い求めたカップ酒のラベルにも八木節が描かれていた。いなせに踊る、その画をよく見れば、滝平二郎ではないか。しまった!もう一泊、するか(するんかい)