釣らないという釣り方

発生した台風の影響で、まとまった雨になるという気象予報を受けて、立山から下りてきた。麓にあった米の収穫施設「ライスセンター」の、そのライにまで異常な反応を見せながらも、急ぎ下りてきた。予報通りの降雨となり、夜半には強く降った。翌朝フィールドを訪れると本流は水草ごと流されており、爪痕のごとく高い水位と強い濁りを流れの中に残していた。果たして、どれだけの魚が動いただろうか——

って、動きすぎ!

碁盤目に張り巡らされた水田地帯の用水路の流れを追っていくと多くの魚が群れていた

鯉などの他の魚の姿がまったく見られなかったので、流れの中に取り残された魚たちなのだろう。写真で確認できる数で五匹、実際は少しギョッとする数で群れていたが、大体偶数匹で、大中小とそれぞれに大きさが揃っているところを見ると、ペアである可能性が否めない。例えそうでないにしろ、可能性がある以上はそう思った方が良い。釣り竿をカメラに持ち替えてシャッターを切った。

営巣に産卵、稚魚の保護活動中の一切の魚を「釣りの対象外」にすることは、偏愛者でもある釣り人が守って、継いで、継がれてきたこと。法に則った規則などではなく、自発的に釣り人の内に浸透していったレギュレーションだから当然、罰則などはない。それでも浸透し続けるその根源は、この魚釣りを未来永劫に楽しむためであるが、敬意を持って魚に接するという、釣り人にとって最も大切なことを自覚させるにつながる。

もし、欲に駆られて釣り糸を垂らしてしまいそうになったときは、——スキルオブソウル。魂の技量を問われているのだと振り返れば、簡単に釣り竿を置くことができるだろう。釣ってしまってはそれで終わってしまう、それよりも魚たちはこの後どう動くのかと、想像力を持って行われる観察がひいては釣りのスキルを上げる。振り返り、見つめ直し、改善するように努めれば、釣らなくていい魚が見えてくる。それすなわち、釣るべき魚を視界に入れたということになるのだ。

しかし、結構な水が出てしまった。水草までまるごと流されてしまったというのであれば、釣趣に欠ける。

んー、戻るか(戻るんかい)