湯涌なる山ふところで無私

要請を受け、住所を調べた。胸騒ぎは的中し、出動要請は決壊被害のあった場所からだった——。電気が通ってからの生業ゆえに、震災のときはライフラインの復旧作業にあたる懸命な仕事を前にただ佇むしかなく、ボランティア活動に参加したのも一度きり。どうして出来ない、なぜ俺は何の役にも立てないのだと責め立てもしたが、それもまた自己を過大に思うばかりの我であり、未だ私を捨てきれずにいる証しであった。

無力を認めたとき、逆らわずに受け入れる無為を人間の中に見出すことができた。すると、はじめて私が私を離れた。だから手を携えて助け合わなければならないのだと、湧き上がってくる思いに任せて車を走らせた。紛れもない利他的な感情、そうかこれが「善」なのかと初めて知り得ると、雨上がりの現地には何ごともなかったような、穏やかな陽が差し込んでいた——ぇ、水は?

決壊したのは対岸で、幸い社屋や敷地内にも大きな被害はなかったという(対岸では数戸が床上浸水)。ぇー、普通に壊れたんですか・・・・・・ぇー、こんなときに?どうして残念がる私の顔にまた我が戻る・・・・・・。

魚釣りに来ただけだろうと、疑われかねない能登は和倉温泉。まぁホント色んなところに仕事があるもんだと我ながら感心するも、和倉は特に久しくなく春にも訪れていた。共同浴場を大湯と称する地域はまだ残っているが、「総湯」として残されているのは石川県だけであり、その歴史と文化を再発信している。石畳が敷かれた温泉街の中心にある和倉の総湯は、山中や山代の総湯にも負けず劣らずの威風堂々の佇まいであるばかりか、浴室の湯口からは飲泉可能な源泉がとうとうと掛け流される。片山津の総湯と同様に近代的な温泉施設ではあるが、湯の個性をしっかり堪能することができる。

翌日、かほく市まで下ってくると本格的に「絶対魚釣りだ」と聞こえてきそうだが、津幡町常設相撲場は社会人相撲の聖地であり、宇野気は何より西田幾多郎の生誕地。哲学館の前まで行くも、先ほど食したチャンピオンカレーに早くも胃もたれ。こんな状態で難解の西田哲学と向き合う自信がない!早々に仕事を切り上げて、湯涌温泉の「金沢湯涌夢二館」へ向かった。

竹久夢二と温泉はゆかりが深いようで、その痕跡が様々な温泉地に残されている。中でも湯涌温泉は、恋人彦乃と次男不二彦の三人で滞在、湯治をした思い出の地。夢二と言えば、放浪旅と愛人女性。そのまま温泉と宴会と芸者が「夢二式美人画」とつながるような印象を持つと、実際は寡黙であったという夢二のそれと随分かけ離れる。内村鑑三の講演を聞いてからキリスト教徒となったことも作品に色濃く影響し、また不二彦を育てた経験をもとに描かれた子供向け作品も、夢二が生涯を通じて力を入れた仕事であった。

たとえば宗教を求めたときが無力を認識したときであるように、芸術もまた無垢な裸の眼で観ることを要される。私があるから世界が狭いのであり、私を無くせばたちまち世界は広がっていく。

湯涌なる山ふところの小春日に眼閉ぢ死なむときみのいふなり

閉館時間の迫っていた館内で、彦乃との思い出を詠った絶唱に胸を打たれた。金沢湯涌夢二館は大きな資料館ではなかったが、それゆえに夢二とその芸術からのメッセージがまとめられていた。恋人や子供を観るような眼で受け入れる、そうかこれが愛なのか——!

刹那、パチッと照明が落とされた。

施錠までされて、ホントに館内に取り残されるという完全なる無私を、湯涌なる山ふところで手に入れたのだった。

(よっぽど存在感が無かったんだろうね・・・・・・)