日本アルプスを透視する

浮かない顔の主婦が隣席の男性客を訪ねてきた。はじめまして、遅くなりましたと挨拶のあとに「透視もできますか?」と続いた言葉に、読みふけっていた地図帳をめくる指が止まった。「あぁ、できますけど」と(できるわけないだろう)自らを「相談屋」だと名乗った男に向かい、主婦は何やら離婚の相談を話し始めた。同情しながら何度も頷き、主婦の話を良く聞いているようだったが、相談している人間の「言って欲しいこと」を探しているようにも見て取れた。しばらくして男が言葉を発すると、主婦は苦悶の表情にいよいよ涙を浮かべている——

穂高の峰に槍ヶ岳を目指すクライマーや、涸沢への山歩きを楽しむハイカーたちの晴れやかな顔で上高地はあふれていた。当所を訪れるのは何年ぶりだろう。あまり時間がなく徳沢でキャンプを楽しむだけの行程だったが、それでも今見る上高地の景観は昔見たそれとはまるで違うことに驚いた。梓川の清流はどこまでも清冽で青く、日本アルプスの鋭く高い峰はスケールの違いをまざまざと見せつける。それでもどうして今はぐんと近く、胸に響いてくるのだろうか。

——ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら、見も知らぬ人間に委ねていく愚かさとは、まったく例えようがないほどだった。大体、人の話を聞かない人ほど怪しい噂に傾倒するのはどうしてなのだろう。手軽に入手できるインターネットの浅い情報を鵜呑みにし、あたかも自分で見て聞いきたかのように振る舞うのも現代の悪い病気の一つ。図書館で書籍を調べるのと道理は一緒だと、馬鹿を言うな。

そもそも人に相談するなど、まだ打算のうち。賛同や同情、自分の言って欲しいことだけを求めているのではないのか。失敗はどこかに間違いがあったからであり、言われたくないことを飲み込めなければ解決には至らない。上高地で魚釣りはできないが、言葉の通じない魚釣りに同情はなく、失敗して間違いを聞き入れて初めて魚と対峙できるように、あの峰もきっとそうすることで乗り越えられる。そして乗り越えなければ、次の高みは見えてもこない。

見事な天の川の青い流れに心を洗われる。嘘偽りのない世界に星座早見盤(クルクル回るやつ)を夢中で広げた

涙を拭い、震える声で「今日はありがとうございました」と主婦は男に茶封筒を差し出した。最後に「ところで、何者ですか?」と尋ねたから、思わず珈琲を吹き出しそうになった。

上高地温泉から常念岳、大天井岳、槍ヶ岳を経由して奥穂高岳、そして新穂高温泉へ下山する。再びめくった地図帳を前にして心はときめき、震えているのがよく分かった。二泊三日で行ける!と屈指の山塊を透視できた(行けるわけないだろう!)