昼飯の誘いアゲイン

例えば年季が入った道具のように、あるいは温泉の含有物が付着して変色した共同浴場のように、この食堂の壁に染みた油痕もまた、数千数万回と鍋を振られた確かな証しである。信頼とは金で買えるものではなく、長い時間をかけてようやく得られる確かなものであることを、ご時世の口コミほど軽くて、不確かな情報に踊らされている現代は知らない。老人、それゆえに達人であるような佇まいを持ち、本物はその風貌を表しているものだ。

注文の品を待つ間に、馴染みだという客が憂う声に耳を傾ければ、どうしたことか。最近はこんな食堂にも、若い娘がスマホ片手に一人でやってくるのだという。粗末な家屋の店を勇んで訪れ、薄暗い土間の店内で嬉々としてシャッターを切る。冷やかしなのか、それともオカルトなのか。それはまるで、懐かしいことが新しいとでもいうように。

確かに時代は変わった。だが、変わらない場所を拠り所にしてしまうのは懐古趣味とまた違う。古くなり、朽ちていくことに重ねて見るのは人間の模様、それは樹木の年輪であり、決して新しいことではないのだ。だから筆者は吸い寄せられるようにして古い食堂を訪れている。パイプ椅子の花柄のビニルは破れ、むき出しのスポンジが虫食いになっている——完璧だ。傷ついたグラスはまるで勲章であるかのように曇り、生温い水はなんだかカビ臭い——パーフェクトだ。あの緑色の冷水機はきっと、腐っている。

無慈悲な社会に強いられた憂鬱な午後を生き抜くために、筆者は僅かばかりのサラリーを携えて、完璧なる本物の昼飯に誘われているのである。

※画像はイメージです

こだわりという偽りが横行する不確かな世の中に、誤魔化しやまやかしはもう要らない。昨今よく目にする、濃厚鶏白湯の熟語を筆者はなんと読むのか知らないが、そもそも子供でも分かるような濃い味付けの昼飯に興味はない。滋味深く、素材本来の旨味を正直に伝える、そんな昼飯にあり付きたいだけなのだ。ちょうど運ばれてきた、この「中華そば」がそうであるように。

縮れた麺が飴色よりも少しだけ濃い色のスープを吸って太り、彩りを添えた青菜はホウレン草ではなくヨモギに似ている。どこにでもあるようで何かが違う、そんな中華そばが滲ませているのは人生の機微、とでもいうのだろう。完璧だ。思わず力を込めて握った割り箸の先端にも妙な汚れが滲んでいる。パーフェクトだ。あの箸入れもきっと腐っている。

黄ばんだプラスチックのレンゲでスープを掬った。この風味——!?深いようで見事に浅く、舌の上を複雑にざらつかせては、しびれのような新しい感覚を残していく。飲み込む前に一瞬の躊躇いを要する、えぐみ——まさか、この旨味を形成しているのは——

厨房で芋の皮を不器用に剥ぎ取っていた小太りの男が筆者の鋭い視線に気付き、小刻みに首を横に振った。必死の形相で私は店の主ではない、私は何も知らないと、被っていた丸帽子を慌てて取り外し、何か粉のようなものが入ったボウルの上に被せた。おまえじゃない?だったら誰だ——。泳いだ目線の先を追うと、誰もいないはずの入口の辺りから、一度吸い込まれたあとに激しく逆流する水音が響いてきた。ジャー、バタンっ。

建て付けの悪い戸が大きな音を上げて開かれると、また大きな音を上げて閉められた。ベルトの金具を締め直す甲高い音がカチャカチャと耳に付く。戸の向かいにあった小さな手洗いの鏡に、ふぅと一つ息を吐いてから、乱れた白髪を整えて丸帽子を被り直したが、手は洗わなかった。ジジイ——、おまえだったか。

 

「ぁ゛ー?」

事態を飲み込めていない店主に筆者が詰め寄るのを見て、あわわと尻餅をついた厨房でボウルが大きな音を立ててひっくり返った。舞い上がった白い粉が淀んだ空気の中を漂い、もはや潔白ではいられないことを明白にした。なんだ、これは。なんなんだ、これは!

 

「味の素ですぁーっ!」

——!!

筆者の怒号に大きく被さるように発せられた、店主の見開いた眼光はどこまでも挑戦的な——いや、あれは実直な男の、真っ正直な眼だった。

 

「味の素ですぁーっっ!」

 

※画像はイメージです

無個性——。かつての食堂や食事処はどこも同じような店構えで、同じような品書きが当たり前だった。誰もが今よりもっと豊かになろうという希望を胸に、同じ方向を向いて懸命に立ち上がっていた時代。そんな時代を満たした、明日への糧となる味があった。それを無個性というのは、やはり間違っている。どこで食べても同じような中華そばの味わいは、決して無個性な味ではなく、偽りではないのだ。苦い薬が消えた現代では、とんと見かけなくなったオブラート。巷ではそれに包んできっとこう言うだろう。優しい味だと。

 

サービスの胡瓜の浅漬けが運ばれてきた。苦労を知るからこそ、かける人情が情け深い。それが嬉しい。嬉しいが、とりあえず手は洗え。いや、だから手を洗えって。

不確かな世の中でも変わらない、食堂の中華そばには確かな味わいがあった。新しくないものが若い娘までを惹きつけるその理由は、探さなくても滲み出ている、というより壁に染みていた。食堂に乾杯だ。今日も筆者の昼飯は完璧に誘われたのである。ただ、この水は腐っている!

 

「味の素ですぁっ!」

だから、もう分かったって!