子曰く、手掴鮎喰駄目

主人公かず子の母がスープを飲む描写で始まる「斜陽」。皿もろくに見ず、無心そうに脇見などをしながらスプーンを軽やかに操るその食べ方は気取らない本物の上品で、貴族を生まれ持った母のようには出来ないから、自分は皿の上にうつむいて、正式な作法の通りに陰気ないただき方をしているのだと、食べ方一つでそれぞれの人物像を伝える。まさしくお里が知れるというように、食べ方はその人をまるごと映し出す。

食べ方の作法と食への造詣の深さも無関係ではなく、手づかみでがぶり、なんでもこれが一番美味いのかもしれないが、例えば蕎麦好きはつゆを少ししか付けず、ほとんど噛みもせず一気に啜り込む。蕎麦好きが死に際に「たっぷりつゆを付けて食べたかった」とは落語のまくらだが、それでも気概を持って示し、示されるのが「通」ということなのだろう。

毎年訪れている「学び舎のまち」足利だったが、足利学校の孔子廟は改修工事中で、しかも界隈の飲食店が一杯と逸品をセットにして提供する「ほろ酔いウォーク」は先週で終了。失意のうちに入店した居酒屋は実は鮨屋で、少しだけ焦ったが、良心的な店で落ち着いて楽しむことができた。ふっくら焼き上げられた鮎の塩焼きが、手づかみで口に運ばれるまでは——

見事なイチョウの大木が境内を引き締める国宝鑁阿寺

そういえば、随分前から野暮ったい——。

和食にレディーファーストは野暮だから先に店には入らない。後ろを向いて履き物を脱がない。はい、上座に座らない。まずは店構え褒め、生け花や設えを愛でてから季節の話でも一つ。箸をつける前に盛り付けや器も愛でてね。箸帯は剥かずに一本ずつ取り出して。箸を器に渡さない、手皿をしない。大皿を持たない、器を重ねない!スマホを出さない使わない!

天ぷらの盛りは崩さないで、塩はつまんで振りかける!鮎は骨抜きにしてからいただきましょう!鮨飯に醤油を付けない、鮨種を剥がさない!ひぃーっ

まったく、おてもやん。君、出身はどこなのさ。

「茨城の××」

あああ〜。

(茨城の皆様すみません)

気取るということは上品とは無関係な浅ましい虚勢だと、かず子の弟の直治は学友のスピーチを槍玉に上げてから、改めて本物である母にはかなわないとした。

気取らないためにも、我々庶民には学びが必要。学び舎の門を潜ると現れた、大きな孔子像に背筋が伸びた。子曰く、教えありて類なし。もう遅いなどということはありません!