どこまでも行ける切符

「過去を変えに行くことだってできる」

旬菜に彩られた重箱の駅弁をつついていた者は箸を止め、一際苦いビールを唇まで運んでいた者は缶を胸の辺りまで下ろしてその切符に目を落とすと、確かに行き先はどこにも書かれていなかった

車窓を流れて行く早春の海はきらきら輝いていたが、まどろっこしい春だから、寒と暖とがじれったい逢瀬を繰り返す。青春18きっぷを利用してどこまでも行く春の旅路に、今年も旧友たちを誘い出していた。

秀峰、鳥海山の裾野は見事に日本海まで届き、月山をはじめとした出羽三山が南方より信仰を篤くする庄内は、海があり山があるから最上川の舟唄が聞こえてくる。風光明媚な自然の中に北前船で運ばれてきた上方文化が伝わる湊町、酒田の舞妓は舞娘と書いた。

姉さん被りに前掛けをして踊られた、庄内おばこ節。こばえて、こばえてと可憐な声で入れられた合いの手は国言葉だろうか。ゆっくりとした調子はおしろいの粉が舞うような若さにもどかしく、それでいてゆったり流れる動きに艶を増していく。まさに艶やかだが、決してあだっぽいのではなく、庄内の風土に残る匂いを含ませながら華やかに薫るというのだから、深く陶酔させられる。

民謡には力がある。民謡が聴かせるのは自然であり、呼び起こされた情景は郷愁となってありありと目の前に現れる。その昔日の中で、今日まで伝えられてきた文化が明日を夢見る娘たちによって舞われているのである。

過去は変えられないし、昔のようにはいられない——。

未来を案じれば、今は不安でしかないのだろうけれど、だからと言って周りに合わせたり悔いるように変わろうとしても、それでは失うばかりではないのか。今が変われば途端に過去まで変わりだし、誰も聞いてくれなかった話は逸話になり、変わり者で片付けられていた人格でさえ新たな意味を与えられる。過去なんてそんなものでしかない。

誰かに決められた意味や価値に振り回されない、ほんとうの自分は今にある。悔いて、憂いている場合じゃない。今さらではなく、今だからこそ——

けやき並木の向こうに連なる倉庫の長い瓦屋根を通り越し、太い川風が港を吹き抜けた。文化が入り交じるこの湊町で過去と未来が結ばれると、最上川の流れは今まさに海へと到達する。

恋々と、次の列車を待つ駅舎でもこの春はじれったい。ここで暮らしたいと誰かが言い出して笑いを誘った。こばえて、こばえて。庄内の方言で、来ればいいのに、来てくれればいいのに。旅の商人との逢瀬を唄った節が遠くなってゆく。

早春の海がきらきらと光を伴って希望の渚に打ち寄せている。

光が示す先は今見えている道だ。俺たちはどこまでも行ける切符を手にしている。