天城を越えて

春めいてきて心も弾み、靴を履き替えるように自動車のホイールを履き替えることにした。今春のポンコツ・ベンツには、これを履かせようか、それともあれを履かせようか。実家の収納という収納に隠されているホイール群の中で楽しく迷うと、欧州車の最大の面倒である「ボルト」にまた悩まされた。太さにネジ山、テーパの形状と、細かい違いがある上に数十ミリというスペーサーを挟むので、まさに星の数ほどのボルトを収納庫で眠らせている自動車ファンは少なくない。

ジャッキに上げてから、用意していたボルトが長すぎたことに気付いた。慌てて手配するも、到着を待つ間に死骸の中で同サイズのボルトを発見——。もう遅かったが、急ぎレンタカーで天城を越えて、早咲きの河津桜には間に合った。

湯ヶ島温泉を流れる狩野川は修善寺に伊豆長岡を悠々と流れ下り、駿河湾にたどり着いて富士を仰ぎ見る。天城山で袂を分けた河津川はと言えば、不器用なまま相模灘に注いでいるようにも見えたのだが、湯ヶ野温泉で河津桜の並木に交わると水面は色鮮やかな春を湛えていた。耳元でせせらぐような水が淀まず流暢に下れるのは、富士を見ないだけに、なのかもしれない。

輝く渓流と、陽気に満ち満ちた湯ヶ野、湯ヶ島を巡る伊豆での休暇。香しいのは花ばかりではなく、ほんのり穏やかに香る湯が川のあふれるようにして湯船の縁を越えている。光を溶け込ませた透明の温泉は嗅いで素朴、口に含んで地味なれど、凝った肩から首から頭から脱力を誘った。静かな渓流沿いの古い湯宿で、もうすぐ時代が変わろうとしているのを思うと、変わることのない静寂の中にどうして淡い物語が紡がれてきたのかを知る。

二つの川が静かに交わる湯ヶ島に古い道があった。共同湯へ続くその道は湯道と呼ばれ、男橋と女橋がかかる。汗を流しにゆく道すがら出会う男女の行く末を、合わさって狩野川となる水になぞらえた。どちらの水の押しが強いのか、双方太い川ではなかったが、深みを随所に持ったその渓相をのぞくと、流れは複雑な渦を巻いていた。それはまるで苦笑いを浮かべているようだった。

羽化した虫が陽気に散らばれば、釣り竿を振って釣り人が応えている。無限を描くようにして釣り糸を操り、深みの前の強い流れの中を目がけて放つと釣り鉤は水に馴染んで流れ、待ち構えていた深みの底に吸い込まれた。

魚信もまた季節が変わりゆくのを伝えていたが、どうして私はそれを橋の上から見ているのだろうか。渓流で出会うべくこの湯の道を訪れたのだが、用意していた道具はポンコツの中で暁を覚えずにいる——。もう遅かったが、それでも伊豆の早い春には間に合った。