冷たい到達点

眼前にそびえる二つの峰が塵一つ漂わない世界の中で純粋なまでに美しく、思わずサングラスを外して仰ぎ見た友の顔に眩しさを弾けさせた。北八ヶ岳の天狗岳は同じような背格好の頂きを東西に持つ双耳峰。たおやかな曲線がその間柄を取り持つように繋がっていたので、二つの峰は当然睦まじく思えたのだが、呼吸を合わせ、そして歩幅を合わせてここまで登ってきたもう一つの顔はというと、険しい感情のままで凍り付いていたのだった。

どうして友はそのことに、気付いてくれなかったのだろうか——

八ヶ岳に吹く強い風に雪は飛ばされて、まるで春の残雪期であるかのように思わせた

標高が高く、今なお「歩いてしか行けない」山岳温泉の代表格である本沢温泉だが、諏訪と佐久を結ぶ峠道にあることで、江戸時代から湯治場として知られていたという。通年営業の野天風呂としては最高所などと、やや複雑な最高順位を謳うものの、異なる泉質の源泉を持ち合わせた山の極上湯とは、やはりここをおいて他にないだろう。

麓から延びた林道に車が乗り入れられるため、同じように温泉を持つ山小屋、安達太良山のくろがね小屋や苗場山の山口館に比べれば登山道の歩きは少ないと小屋番は謙遜したが、バス停留所の登山口から歩いてくると傾斜こそ緩いものの道程は長く、日頃の疲れを蓄積させた体に応えた。本沢温泉に一泊して夏沢峠へ上がり天狗岳を越えて、例のごとく反対側の温泉郷を目指していた。

 

野天風呂は谷間にあって、八ヶ岳から吹き下ろされる風雪をしのぐ樹木も見当たらない。堂々、何もないから本沢温泉の雲上の湯は硫黄岳を間近に望む。脱衣場もなく岩の雪を払ってそこへ捨てるように脱衣したら、誰よりも速く湯船へと急がねばならなかった。

手ぬぐいを振り回して走り、そのまま湯船に飛び込んだ。ドボンと潜っては救われるような温かい湯に命をぶり返し、山の、真冬の、だからこそ童心に帰ったような笑い声が谷間に響いていた。小屋には二つの内湯もあり、もうもうと湯気を立ち上らせた方が冬季に利用できる石楠花の湯。白濁湯の野天風呂とは打って変わった褐色湯に芯から体を熱されると、疲れはとろけるように解された。

小屋に他の登山客はおらず、大部屋は貸し切りの状態。それをいいことに夜更けまで深酒する二人だったが、明日に目指す天狗岳と温泉郷の話になると私はよく知らぬとうそぶいて、いいからもっと呑めと一升瓶を突き出した。

アルプスは潔白をまとうように浮かび上がっていた。思い切って話そうとしたが、いたずらに吹いた風に告白ははかなく殺された

恐る恐る、首だけ伸ばして尾根筋を覗き込んだ。

昨日まで稜線を強く吹き付けていたという風の姿はなく、その風に新雪も飛ばされたようで、登山道は所々に山肌を晒していた。青の一色に澄み切った冬の空は、登ってきた私たちを歓迎するかのように出迎えたのだが、誠実の塊であった冬の山は、遙かのアルプスを何一つとして隠さずに浮かび上がらせていた。

「引き返そう」と発する勇気が震えて、言葉にならなかった。まごついているうちに、中山峠から駆け上がってきた強い風に殺されそうになった。もう戻れないところまで登ってきたのだが、サングラスを外してそれを仰ぎ見た顔には眩しさが弾けていた。東天狗岳から西を望むと、たおやかに見えていた曲線は深い谷になっており、分断するように互いを引き離していたのだった。

絶好の登山日和に多くの登山者が中山峠から山頂を目指して登ってきた。黒百合ヒュッテは深い雪の中にあっても大変な賑わいをみせていた。雪上にテントを張る者があれば、雪のベンチに腰を掛けてコーヒーを煎れる者もあった。賑やかな声が共鳴し合う銀世界の中を逆行してゆく者に、言葉などあるはずもなかった。それでも呼吸を合わせ、歩幅を合わせて登ってきたのだからと、最後まで伝わることを信じていたのかもしれない。夏には苔むす八ヶ岳の森を抜けて、奥蓼科温泉郷は冬の渋御殿湯に到達してしまった。

天下の霊泉、渋御殿湯。氷点下の山頂からわざわざこの温泉を目指してきたことを友はまだ知らない

湯気のない浴槽の前に膝をついて、意を決してかけ湯をした。——息が止まった。ほとんど荒行だった。覚悟を持たずして飛び込んだりしたのならば、命に関わるのではないかと一抹の不安までを覚えさせた。

そろそろと脱衣場の戸が引かれると、霊気が漂う異様な浴場に思わず身をすくめたが、そこまでは本沢温泉の野天風呂と一緒だったからだろう。誰よりも速くと、手ぬぐいを振り回し、私が紫に凍る源泉浴槽を目がけて走ってきた。

どうして友は気付いてくれなかったのだろうか。

まるで童のような笑顔を弾けさせて向かってくる——。