熊野本宮の湯

熊野三千六百峰の連なる山々がひとたび深い霧の中に包まれると、森は静寂の道を細く長く開き、それが別の入口に続いているかのように思わせた。

多くの自然景が残された紀伊山地で崇拝される神々は樹木や巨岩、滝などにとどまらず、熊野三山の本宮には阿弥陀如来、新宮に薬師如来、那智は千手観音が鎮まるという神仏習合で、いにしえより信仰を集めてきた。巡礼の旅は日本人の旅の始まりともされ、京の都や伊勢、高野山などから熊野を詣でるために生まれた参詣道は、蟻の行列に例えられたほど賑わったという。

九十九王子と呼ばれる熊野の御子神を祀った社の最後にあたる多富気王子跡は、熊野古道大門坂の登口にあった。

大木が力強く立ち並ぶ坂道は那智大社に繋がる

熊野三山は現世と来世とが行き交う、よみがえりの地。常日頃、涅槃がどうしたこうしたと唱えているくせに、空港で借りたレンタカーが冬タイヤではないと命乞い。高野山に行くのかと問われ、龍神温泉には立ち寄るが熊野本宮を目指していると返すと、「大丈夫ッスよ、大丈夫」鼻で笑われた。

暮れも間近の十二月だったが、どうしてシャツ一枚で心地よいのだろうか。紀州の温暖な気候風土に汗を滲ませて、坂道を歩いた。平安時代の衣装に身を包んだ雅びな参拝者が、杖を突く音を柔らかに響かせて、那智大社を目指してゆく。雨や風の何ともないようなことがいつもより鮮明に映って見えるのは、その中を歩いてきたからだろう。那智湾から巻き上げられてきた雲の護衛に朱の社殿は固く守られていた。

雅びな姿が社の朱に栄える。いつの時代も同じように信仰は日本人の心に寄り添うのか

熊野本宮之湯、湯の峰温泉に着いた頃にはすっかり日は沈んでしまっていたが、源泉は幽玄な熊野の夜に幻想的な湯煙を上らせていた。湯の峰を恍惚として見上げると、やはりここが別格な温泉であることを改めた。

本宮大社への参拝を前に身を清める湯垢離場(ゆごりば)と知られる湯の峰温泉は、日本を代表する古湯。そして、世界遺産に登録された紀伊山地の霊場と参詣道にある。源泉が自噴する湯壺にそのまま入浴することができる「つぼ湯」は、世界遺産でも唯一の存在だという。

熱い湯は湯壺の中で澄みきっていた。加水することなく熱い湯に喜んで耐えたが、数えて五分ともたなかった。蛇口をひねって加水すると、湯の色は立ち所に青白く変わっていった。小栗判官の伝説に登場する再生の湯は、よみがえりを繰り返し時代を超えて現世に息づく。湯壺の中で思わず再生を願ってしまうと、涅槃は未だ遠いことを悟った。

入浴できるただ一つの世界遺産の温泉。濃い湯煙を吐き出しながら高温の湯が地上に生まれてくる