裏岩手縦走路を行く

バスが遅れて飛び乗った新幹線で、息を弾ませながら顔を見合わせた。しかし、車内放送で謎の行き先「シンアオモリ」を告げられると、緩みかけていた顔に緊張が戻った。しまった、はやぶさ号だ——!「こまち号、こまち号は!?」デッキで車内販売のワゴンを準備していた乗務員は慌ててドアから身を乗り出し指さしたが、接続されていた前車両は盛岡の駅で切り離された。「あぁぁ、アレです」言葉にはならない言葉の先を秋田新幹線は走り出した。

一日二便の後生掛温泉まで直結するバスを失うと、最終停留所であるアスピーテライン入口からの歩きを覚悟しなければならない。さっそく暗雲立ちこめる中、「どうせ長いんでしょ」と料理長は開き直ってビールの缶に手を付けていた。

後生掛温泉の紅葉はもうすぐ終わりを迎えようとしていた

後生を掛けて地獄谷に身を投じた妾と本妻。どうして悲しいいわれを持つ後生掛温泉は、日本一とされる八幡平の大泥火山に湧く。煮え沸き立つような大湯沼の火山現象はまさに地獄で、草木の落ちた山々と相まって悲しい物語の舞台を映し出す。それでもまた季節が巡れば、石楠花は競い合うようにして八幡平に白い花を咲かせるという。

八幡平を行く秋の山行は、後生掛温泉から裏岩手連峰縦走路を伝い松川温泉へ。名峰岩手山に続く姥倉山を登り、網張温泉を目指すという秋田岩手の極上温泉を股に掛けたロングトレイル。長い山歩きの中でたっぷりと紅葉を楽しむつもりで来たのだが、東北に届けられる冬の知らせは春の訪れより早く、秋は短い夏とともに過ぎ去ってしまうのか。紅葉の見頃にも間に合わず、山道はすでに落葉の小径となっていた。

オナメは妾、モトメは本妻。競い合うように煙を上げて噴湯する泥火山にその名が付けられた

水の流れに掘られたような登山道で、何度か転石に足を取られた。八幡平は車道が接続する容易な百名山の一つとされ、かつてサンダルで登頂したこともあったが、登山道を歩いてくるとしっかり登りごたえのある山だった。途中の大深温泉はバス路線の営業終了を待たずして早くも冬季休業となっていたが、確かに風は登るほど鋭さを増してきた。もうすぐにやってくる冬のはじまりに触れながら標高を上げていくと、特徴的な平たい山頂部がその台地一面に草紅葉を敷き詰めていた。

平原には池塘があり、淡い青空色を映したその湖水は枯れ草色の中で一際輝いて見えた。振り返ると雲につながるような噴煙を上げているのは後生掛か、それとも蒸ノ湯だろうか。もう随分と遠くに見える。僅かに残されていた紅葉が東北の秋の系譜を語り出すと、それはきっと燃えるような色彩ではなく、穏やかな山紅葉の一色で、仰げば香るような秋だったのではないか——。

 

縦走路に入ると季節は一転して、夏に逆戻りしたようだった。陽気に誘われて、たわいもない会話を弾ませて登る。

「今晩のおかずは?」浮かれ気味に訪ねると、料理長は何やらにやりと含ませて「HITTSUMI——」岩手の名物汁だと返した。昨晩、後生掛のオンドル部屋で囲んだ謎の鍋「——SHOTTSURU」も美味かった。

灌木が両手を広げて大らかに茂る登山道はアルプスに続く夏道を思わせたが、低い標高でも森林限界となる東北の山。浮かれるような夏は確実に過ぎ去っており、語り出した秋が見せたのも幻の眺望。厳しい冬と積雪に耐えねばならぬ灌木はずんぐり、その身を低く不格好にしてまでも、不気味に構えていたのである。

縦走路はアルプスに続く夏道のようで心は弾んだが、見えるはずの岩手山は厚い雲に覆われていた

峰を越えて行く度に手応えをつかみかけたが、歩けども岩手山は未だ雲の中にあってその姿を捉えさせない。そして、充実感に満ちていた長い登山道はいつしか平坦な道に変わり、いつからこうなったのか、どうしてそうなったのか、いやに現実的に延びている!ただ永遠と歩かされては生殺しのように疲れ果て、もはや途方に暮れてゆく——。

すでに行動時間は両手でも収まりきれなくなっていた。日が傾くにつれ閉口し、眠気にも襲われていたが、縦走路の分岐から松川温泉まで、残すコースタイムは二時間半。注意力も散漫となる中、踏ん張りの利かなくなった脚では体を支えることができず、まさに転げ落ちるようにしてたどり着いた。

立派な外観の松川温泉峡雲荘だが自炊湯治棟を持つ。転げ落ち地を這ってようやくたどり着いた

誰かが言っていた——。

下りの楽しさを知るとき、初めて充実するのだという。迷いがなくなれば、苦しみもなくなるということだろうか。今さら登れる道を探すよりも、岐路を求めて迷うよりも、いっそのこと下りてしまえば楽になれるのだろうか。

見事なまでに白濁した松川温泉の熱い湯が足の指先からじんじん伝わってくると、体はその熱を取り込むために筋肉の緊張を解いた。開かれて、解放されて最後は心にも届くように深く染み込んで、声はもう喉を鳴らすような音しかにならなかった。眉間に寄せられたすべての懸念が払われ、体は強い硫黄泉の成分に膜を張られたようだった。すり切れた足裏を湯の中で擦ると感覚が戻ってきた。

姥倉山の山頂からなだらかな山域を望むと八幡平がはるか遠くに見えた。よく歩いてきたが、まだ終わりではない

静かに夜が明けてきて、足もとをか細く照らしていたヘッドライトの視界を広げた。姥倉山を登る朝に雲も霧も霞もなく、ずっと見えなかった岩手山が見事な裾野を伸ばしていた。

落ち葉を踏みしめると深く沈み込むような音を鳴らしたが、それはもう弱音ではなかった。すぐに始まった急な登り坂で、動きの悪くなっていた脚の代わりに腕を伸ばして登った。目の前のことに夢中になると息は切れたが、苦しさはどうして笑いを誘った。もう少し耐えられるということだろう。まだ登り坂が楽しいことに気付いたのだ。

網張温泉に続く分岐で地図を広げると、「どうせ長いんでしょ」半分は呆れたようだったが、料理長の顔にもはつらつとした笑みがこぼれていた。

待てば次の電車が来たように、季節はまた巡る。

やれることがあるはずだ。