軽さの仕組み

業務には関係なさそうな大きなバッグの中身を問うと、「カメラです——」声を潜めた担当者。仕事が終わったらその足で星空の撮影に向かうのだと言う。カメラ談義に花を咲かせたあとは、やれ防湿庫だのメンテナンスだのと機材以上にのしかかる重たさを吐露。もはや辟易していると言っていたが、それでも重たい機材を担いでいく顔は「笑顔」だった。担当者を見送ってからの私はというと、カメラの定期点検に訪れていた。どうりで私の鞄も重たいわけだった。

ShinjukuではなくGinzaの方へ。愛車のSLK、ではなくSUB(地下鉄)で来ました

ついに乗車した「踊り子」号。地味な色合いの座席だけが整然と並んでいた車内は、今にも煙草の煙が香ってきそうで、国鉄の時代を偲ばせた。殺風景にも思えたが、機能美とは無駄のないシンプルにこそあるのだろうか。かつて新特急と謳われた185系の快適さを今頃になって改めると、呼応するように電車はビルの谷間を快調に走り抜けていった。特急——、やはりその響きが旅の趣を深くする。あぁ、相模の海は今日も穏やかに輝いているだろうか、と思いふける手前で降車。(それでは「湘南ライナー」じゃないか・・・・・・)

降り出した雨にも積年の汚れは洗われない。185(特急)で向かいました

姥子温泉は大涌谷を越えた先にあった。「ぁあ!どうも!」と受付で、多分きっと、誰か他の温泉ファンと間違われるも「今日はお湯ガシガシきていますよ!」姥子秀明館の湯は、秋が深まる頃から春までの間は自噴泉が枯れてしまうため、揚湯泉に変わってしまう。とてもいい日に訪れることができた。

一帯に降った雨が火山の熱源に熱せられ、湯となりこの地に湧き出す仕組み。だから自噴泉が枯れるのは夏も例外ではないという。自噴する温泉ではよくあることで、例えば川の温泉もその水量と湯量が比例している場合が多い。雨が降った分だけが還元されるというのは考えてみれば当然のことで、自然の循環他ならない。

ロープウエーではなくBUS(路線バス)で来ました。そしてスマホで撮りました

箱根にありながら観光温泉とは一線を画する姥子の湯。秀明館はかつての湯治棟を残しているが、静かな森に囲まれており、その佇まいはどこか深い教養を感じさせる。今となっては湯治よりも静養、保養所と言った方が似合うだろうか。岩の裂け目からあふれ出る湯に身を浸せば自ずから然り、自然の中に溶けていく。

重たい機材を担いでから見せた、先の笑顔を思い出していた。やりたいことをやる。行きたいところへ行く。背負った物を軽くする仕組みも、至ってシンプルなのかもしれない。

さぁ、点検中はあまり見ないようにしていた展示品の最新ミラーレス機種。どうしよう、とても軽かったらどうしようと悩んでいる——。