美作三湯をめぐる

普通に出された諏訪泉の熱燗が美味いのなんの。純米酒の本場である鳥取の酒は普段から愛飲しているが、まだ知らぬ久米桜を一口含んでみてアハハ、美味い。旨味の輪郭をはっきりとさせる強力などの特産米に始まり、完全発酵の技術により長い熟成に耐えうる強い酒質が醸されて、まろやかな香味と素晴らしいキレを併せ持つ純米酒になるという。熱めの燗を点けると力強い旨味が一気に開かれて、一口ごとに唸らせた。

多くの醸造酒の仕事は食中酒であること。必要以上に香らず、料理を引き立てることに専念する。それは独りよがりに主張するのではなく調和を保つこと。温泉もまた同じく自然景とはもちろんのこと、街並みや建物との調和があってこそより深く感じ入ることができる。鳥取県境の静かな山間、人形峠の麓に奥津温泉はあった。

地下道を進むと風呂は川縁と同じ目線になっていた

甌穴(おうけつ)群で知られる奥津渓は国内有数の紅葉の名所だったが、西日本の山々は平然と緑を保っていた。なんとも微妙な季節に訪れてしまったことを少しだけ後悔したが、吉井川の清流を覗き込むと渓魚が川面で群れていた。不思議なことにアマゴはこの地方でヒラメと呼ばれる。流れに逆らった一匹のヒラメを思わず目で追うと、釣り人が秋の渓を知らない理由を噛みしめた。

「足踏みせんたく」という風変わりな習慣が郷土に残されていた。川縁には温泉の湯を再利用する洗濯場もあったが、実際に利用しているのは二世帯ほどだという。今は観光の呼び物として、若い娘たちが赤い腰巻きを身につけて披露する。これまた残念なことに実演するのは日曜日だけと聞き、紅葉よりも大きな後悔を呼び起こした。

あまりの心地良さに津山の殿様が鍵をかけて独占したことで知られる美作の名湯は、川底よりも低い位置で湧出する美肌泉。どこまでも軽く柔らかい湯にふわふわと体全体を持ち上げられては心地よく、鍵をかけたことすらも忘れるほどだった。重厚な造りの老舗旅館が守り続ける伝統と名湯には、やはり調和の取れた風情があった。

東和楼の湯船は深く掘られていたが、それでも湯に押し上げられて体が浮くようだった

湯郷温泉は美作の中心にあって交通の便も良く、温泉街という雰囲気を残さずに発展してしまった感が否めない。そして有名スポーツクラブの印象も手伝ってか、街全体を活発で明るく見せていた。共同浴場も大型の施設で、古くから薬湯として知られた面影は残されていないものだと思っていたが、かけ流しの源泉浴槽を持つ「療養湯」。同施設内の敷地で営まれていた療養湯が素晴らしく力のある湯で驚いた。僅かに香る湯の香を呼吸を整えて吸い込めば、緊張は見事に解されていく。健康促進を温泉で促している湯の街にはしっかりと本物が残されていた。

「砂湯」で知られる湯原温泉郷は下湯原に真賀、足などを総称した国民保養温泉地。砂湯が露天風呂「西の横綱」に在位しているのも、ダム直下の珍しい景観を持つからだろう。巨大人造物の景観をダイナミックと見るか否かは別としても、ダム直下の旭川には鱒が放流されており、投げられた釣り糸がなんとも窮屈な弧を描いていた。

豪雨によるダム放流で被害のあった砂湯だが、懸命な復旧作業が急がれたという。無色透明の混浴湯にも臆する色なくこの湯を目指して観光客はやってくる。温泉郷のシンボル的な無料開放の露天風呂に配湯される湯はさすがの名湯だった。湯船の中でふれあう人情との調和、これもまた大切であることを教えられた。

木造建築の旅館は木のぬくもりとの調和が大事。風格ある唐破風屋根の奥津荘

そして岡山も酒どころ。備中杜氏で知られ、酒蔵の数は五十を超える。なにより雄町米の一大産地だ。勉強不足で美作の地酒を知らなかったが、武蔵の里は穏やかだがとても澄んだ酒質でアハハ、美味い。丁寧な造りを感じさせた酒はよくキレるも、旅の余韻を長く続かせていた。