山と川と山陰の古湯

大山(だいせん)は言わずと知れた西日本を代表する山で、中国地方最高峰の独立峰。出雲風土記に火神岳として登場するその古き神山は、西側からの姿を富士の名を付けて呼ばれるが、北側や南側に回ると一転して、むき出しの岩肌が屏風のようにそそり立つ。本州の温泉の多くは山深き東で力強く湧いているが、数で負けてもたおやかな西の温泉は古い歴史を持つ湯も多く、東の富士らにも負けず劣らず自然と人とを調えていた。

湯村温泉の荒湯は観光客で賑わっていたが、湯煙の先に春来川の流れがあるだけで、めぼしい余興や催しがあるわけでもなかった。観光客はゆで卵を作ったり、足湯に浸かりながら会話をしたりして過ごす。持て余しているかのようにも見えたが、実際に引き寄せられてみると、同じく湯の中へ卵を落とし、川音に耳を傾けながら出来上がりを待っていた。

観光客で賑わう湯村温泉の荒湯。温泉でゆで卵を作るのはどうして楽しい

城崎、湯村とめぐった但馬を後にし因幡へ入ると、すぐに湯町が見えてきた。蒲生川のほとりに湧く山陰最古の湯、岩井温泉。かつては京阪神より訪れた客で賑わったというが、川は静かに流れ、今は三軒の老舗旅館と共同湯がその古湯を受け継ぐ。唄いながら柄杓で湯をかむる「ゆかむり」という奇習が伝わり、高温の源泉をかけ流す湯船の中でのぼせることがないように行われるという。愉快な風習とは反対に、落ち着きある木造三階建ての岩井屋は旅籠情緒にあふれていた。設えられた調度品もさることながら趣向をこらした内湯がすばらしい。自然湧出する源泉は共同湯と同じ泉質だが、深い立ち湯の浴槽でその柔らかな湯に包み込まれると心底から癒やされた。

三徳川のせせらぎに温泉街の展望は開け、名物の河原風呂をより開放的に映した。開湯を平安時代にさかのぼる三朝温泉は古湯にして屈指の放射能泉。花崗岩地帯の山陰地方に多い泉質なれど、高温で湧く放射能泉は希少だ。発祥の地である共同湯「株湯」の熱い湯に川風がまた心地よく、ぶらぶらと目的を持たぬ散策に誘われた。目的が曖昧なのもまた旅情だと気付かされると、効能豊かないで湯に気分まで清々しく洗われていた。

岩井温泉岩井屋の趣向をこらした内湯に半ば意識を失う

「町に住むようになって今の自分より、山の中の温泉場にいた幼い私の方が幸福だった」

岩井で生まれた作家の言葉が飾られていた。

川が流れ、ほとりは翠に敷かれ、湯は極上の癒やしを持っている。人は優しく酒も美味いとくれば、幸福について語られることの多い現代においても、答えはなんだか簡単なような気がしてきた。山に川に調えられていなければ、いつしか窮屈を強いられて、人よりもわれ先にと生きづらい生活を選ばざるを得ない。また、それを裕福として見てしまっているのかもしれない。

完全なるプーオンである三朝温泉の河原風呂。達観して風景に調和する入浴者が見える