坂の上の湯煙

坂の上の雲が、それでもまだ頂きを隠すように覆っていた。

急坂を一気に駆け上がりアルプスの稜線に立つと、森林限界を越えた別世界がさらに強く鋭く、切り立ったままの荒涼で息を呑ませた。そして雲は燻らした煙のように白馬の山頂を漂い、高所の絶景は感動のそれより身震いを誘った。畏れるようにと求められてから、改めて視線を落とした。私はなぜここに立っているのだろうか——

仕事帰りのスポーツジムで、ダイエット目的の女性たちに紛れてタイヤのないバイクを漕いだ。果たしてどんな効果があるのか、何の意味があるのかは分からない。白馬鑓温泉は歩いてしか行けぬ温泉の中でも、長い登山道に沢や雪渓を横切る難路が連続し、その難易度は高い。しかもゴールをその温泉に設定せず、そびえる白馬三山を越えて蓮華温泉を目指すというのだから、バイクのハンドルを握る手にも熱がこもった。腹がへこむことはなかったが——。

初日は念願の温泉小屋にてキャンプ。二日目にそれぞれの頂きを踏んで頂上宿舎にてキャンプ。三日目は日本海へと繋がる山塊の尾根筋を歩いて蓮華の森へと下りて行く。

鉄道にバスを乗り継いで始まった長い旅はいよいよ登山道に入った。最後まで食事付きの山小屋泊という手軽な選択に誘惑され続けたが、テントを担いでやってきた。酒と食材を担いでやってきた。山女(山ガール)よりも、やっぱり山女魚(ヤマメ)の方が好きだという、温泉ファンの釣り人がフィッシングシャツのままでやってきた!

 

楽しみは山歩きや入浴だけでなく、キャンプでの食事に酒盛りと盛りだくさん。テントを詰め込んだ私のザックよりもどうして膨らんでいた料理長の荷物の中身は、ほとんど酒と食材だった。そんな料理長お手製の「ご当地名物シリーズ」は謎の鍋、OHYOKKURI。白馬八方の郷土料理らしい。夏の盛りで二泊ということもあり、多くの野菜はしっかりと乾燥を施されていたが、その野菜自体も畑で作ってくるというから頭が下がる。

シェラカップになみなみと地酒を注いだら、そのまま火にかけて熱燗に。こうなるともう楽しくて仕方がなくなるから、酒は足りなくなる。二日に渡り、小屋で酒ばかりを購入してしまい、危うく帰りのバス代にまで手をつけるところだったじゃないか。

荷物を格段に軽くするフリーズドライ食品だが、味気なさとともに軽いがゆえの虚しさを残す。こだわりの食材は無駄に重く、それをあえぎながら担いでいるのは馬鹿みたいだけれど、馬鹿は楽しく、多くの無駄で豊かになれる。山行はもちろんのこと、バスや鉄道(大糸線)までのすべてを楽しむ覚悟を持って登れば、景色はもっと違って見えてくる。

 

——息を切らして急坂を登りきった。稜線に立つと、谷底から一気に加速して舞い上がった風に両肩を鷲づかみにされた。「どうして登ってきた!」いきなり風に問われて答えに窮すると、加減を知らぬままで体を前後に大きく揺さぶられた。「どうして登ってきた!」体勢を低くしてこらえたが、遮るものが何もない場所で受けた風は重く、振りほどくこともできない。目を落とせばすぐ脇で切れ落ちている崖に足はすくみ、声を上げてもその声は誰にもどこにも届かない!

なぜここにと、後悔しても遅かった。自然は一切の温情を持たないことを山の上で知ると、楽しいはずの稜線歩きは一転していた。

辛くも頂上宿舎に到着するも、テント場はすでに混み始めていた。未だ吹き続ける強い風に設営中のどのテントも煽られて、宙に舞ったものもあった。私たちも急いで設営に取りかかったが、岩がごろごろ転がる固い大地にペグはほとんど刺さらない。それでもペグを深く打ち込むことができなければ、すべて飛ばされてしまう。振りかぶって大地に岩を叩きつける鈍い音が、何重にも重なっては強い風に吹き飛ばされていった。

張り綱の四点を大きな岩に括り付け、せめてもの重し代わりにとザックをテントへ投げ入れて、ようやく安堵した。すると途端に風は止み、嘘のような平穏が訪れた。色とりどりに咲いたテントの花が、今の今まで不毛だった地をまるで違う世のように映し出す。喧噪は当然、何音も届かせない中でまどろんでいると、またしても強い風が辺りに吹き荒れた。轟音とともに旋回してきたのは、県警の山岳救助ヘリコプターだった。

レジャーと呼ぶには険しすぎる山塊が連なっており、死亡事故を日常的に発生させている。高齢の登山者がとても多く、やけに浮かれた若者たちの姿も目についた。実は高所が苦手という釣り人の赤ら顔も気になるところで、ほどほどにしなければ明日は我が身だと言い聞かすように、救助の一部始終は生々しく続いた。

再び訪れた平穏が、山肌を夕焼けのアーベントロートに染め上げた。ぐったりとしたままの若い娘が救助に吊られて昇っていく様を見て、やっぱり天国に近いかもねと縁起でもないこと言ったのは、私ではない。

 

時々、振り返りながら来た道に思いを馳せた。小蓮華山からの大展望や白馬大池の美しさ、雷鳥坂での雛たちの姿も無垢に輝いていたが、深く心に残っていたのはそれとはまた違う。

鬱蒼とした森の中を下りていくと、日差しを遮る木陰に熱は冷まされたが、心地よい風まで奪われて蒸し暑い。じっとり滲んだ嫌な汗を拭う気力もなくなって、もはや棒になった足でなんとか体を起こしていた。それでも一番辛いときを一番楽しかったように思い出すのは、どうしてなのだろうか。

力はすべて使い果たし、髭は伸びてシャツもひどく汚れていたが、気分はとても晴れていて、私はこの夏山の匂いをできるだけ多く吸い込もうとしていた。

木々の切れ目から、温泉の噴気を上げる源泉地帯が見えてきた。

 

杓子岳にて。山頂で浮かれるなという合い言葉に反して、ちょっとだけ嬉しそうな二人であります