古湯を行く

熱海で伊東線に乗り換えた。まばゆい程の相模の海の照り返しに戸惑った—— とは手にしていた紀行文の通りで、一月とは思えないほどの暖かな陽に照らされた相模湾は本当に輝いていた。風光明媚な半島は年間を通して安定した気候で夏は避暑、冬は避寒の地として旅人を呼び寄せる。干物をはじめとした海産物が地の物で、静岡酵母を開発する酒どころであるばかりか、伊東は全国屈指の湯量を誇る温泉地。点在する共同浴場を満たす穏やかな単純温泉の湯が地域と生活の中に色濃く溶け込んでおり、リゾート観光地のイメージを覆すようで面白い。

北陸や新潟などを襲った大雪のニュースが繰り返し流れてくる最中、湯巡りで温まった体を半島の乾いた風にあてる。地酒は白隠正宗を熱燗にして、うずわ(かつお)や静岡おでんを頬張ると、いよいよ感じた後ろめたさは雪国の生まれだからだろうか(伊豆に生まれたかったよ)。いやいや、仕事で来ているのだと払拭して、熱海伊東の古湯を巡った。

 

熱海の塩の湯は湯上がりにべたつき、少し不快ながらもその保温性は抜群でコートを荷物にした。路線バスの中でも引かなかった汗に、伊豆山温泉から吹き上がる浜風がなんとも心地よい。山の上にある停留所からすぐにせまる海の眺望が眼下に広がっていった。

閑静な古い町並みの中を下っていくと、崖の横穴から勢いよく流れる水の音にもうもうと湯気が立ち上っている。走湯源泉だ。山中から湧きだした熱い湯がそのまま海へとほとばしる姿は、昔人に畏敬の念を抱かせて信仰を育んだとある。源泉の由来通りに走る湯は近代の周辺掘削により枯渇し、今は代替の掘削泉による復元とのことだが、珍しい横穴式の源泉は一見の価値があった。

「七福神の湯」の伊東温泉は観光の対象として共同浴場を観光客にも開放しているが、南伊東の鎌田湯まで来ると、それは完全に生活の中の温泉であり、観光色は極めて薄くなる。しかし、共同湯を中心に人が集まり、湯浴みと交流を楽しむ姿に変わらぬ日本の風景を見出せば、古湯をつないできたその歴史に旅情はそそられる。鎌田湯はまだ日の高いうちから地元の方で賑わっていたが、宝のように扱われていた温泉はとてもきれいだった。松川沿いに建ち並ぶ昭和初期建築の旅館街も風情にあふれているが、伊東の魅力はやはり共同浴場にあった。

 

共同湯といえば「厄除け順浴」、石畳の温泉街に外湯巡りの下駄音が響く、信州渋温泉を訪れた。奈良時代に開湯された古湯の外湯は九つあり、一番湯から九番目までの名が染められた手拭い(順浴手拭い)に判を押して、高薬師を参れば満願成就。言わずと知れた登録文化財の金具屋をはじめ、木造建築の旅館群が残る古き温泉街の中での湯巡りはなんとも情緒がある。

 

「猿が入るので——」饅頭屋の入口に掲げられた注意書きをよそに、奔放な野猿が旅館の窓を叩いて観光客を喜ばせていた。九番目の大湯は檜の湯殿で、真っ直ぐに湯気が抜けていく高い天井はまさしく古湯の風格に満ちている。何度訪れても渋の大湯の重厚な熱い湯には圧倒される(信州に生まれたかったよ)。悩みや迷いをも吹き飛ばすような熱い湯に心身ともに解放されていく。スノーモンキーよろしく、古湯の中で至福のため息をついた。

最後の大湯で判を押し、結願となった。石段を登って高薬師を詣で、さぁ、願いは—— 特別思うこともなく、家族の健康を祈願した。

九つの湯巡りをたとえば鳴子なら、すべて泉質の違う湯巡り(旧泉質名では)を楽しめるのに。最後は東北きっての温泉郷、鳴子温泉へ。

鳴子のこけしは津軽こけしのくびれ美人とまではいかないが、わずかに絞られた胴体のシルエットも美しく、可憐な童の顔が印象的だ。玉造の名で平安初期の国史に現れる古湯は、鳴子、東鳴子に川渡、中山平と鬼首の地区を総称して温泉郷となる。中心となる鳴子の外湯「滝の湯」には、温泉神社から引湯された乳白色の硫黄泉が滝のように打たれいる。東鳴子の黄色や黒色、川渡の黄緑色にと、泉質に加えて多色にも富んだ湯巡りは色鮮やかに胸に残る(鳴子に生まれたかったよ)。

 

どういうわけか、鳴子の滝の湯は訪れるたびにその趣を深くしていく。変わらぬままで在り続ける湯と風景に感じ入るのは、自らが変わってしまったからだろうか。それとも齢を重ねるとは、気付かなかったことに気が付くという発見のことだろうか——。古湯に触れるたびに思うのは、懐古だけではなかった。