北陸の古湯

久しぶりの北陸出張。新幹線開業より随分と経つが、今も金沢市内は国内外の観光客で賑わい、百万石の加賀は健在だった。富山市内も駅前の再開発が進んでいたが、何より立山連峰の姿はいつ見ても雄大で、黒部の水を集めて一気に日本海へと下る流れに心は奪われる。そして、日本の温泉史の中でも極めて重要である北陸の古湯、山代、山中温泉へは実に二十年ぶりの再訪となった。

早速、近江市場で金箔の乗った海鮮丼にぼられ、夜の帳が下りた美食の街で散財。富山の桜木町では財布の紐を固く結ぶも、結局は同じ轍を踏む。しかし、やっぱり酒って美味いなと、そう思わせた食材と郷土料理は大満足の対価。ビジネスホテルで弁当に缶ビール?だったら絶対に行かないというのだから、当然の出費か——。

山代温泉古総湯。湯の曲輪は古総湯を中心に湯の街を再建していた

片山津温泉とともに、かつては関西圏の一大歓楽温泉であった山代温泉は、総湯(共同湯)を取り囲む形で景観を一新。「湯の曲輪」と呼ぶその街並みを、さながら江戸の時代に戻して、日本の温泉場の美しさを取り戻していた。

山間に位置しながらも海に近い立地で、九谷焼の器に盛り付けられた日本海の幸は、粋人たちとともに加賀の美と食の文化を築いた。明治時代の総湯を復元した古総湯にも九谷焼のタイルが張られており、ステンドグラスの窓からこぼれた色取り取りの光に輝く。その中で掛け流された湯は今も負けじと映えており、往事の栄華をしのばせた。

高僧行基によって奈良時代に発見されたとされる山代、山中の古湯。山代温泉は泉源を複数持つが、泉源を一つしか持たぬ山中温泉はその場所に湯壺を設けて利用された。湯壺の周りに食事や宿の取れる建物が作られていき、温泉場を形成して発展させた景観をそのまま残しているという。

山中温泉は芭蕉ゆかりの温泉でもあり、おくのほそ道で訪れた唯一の温泉、そして長逗留の地だった。町を流れる大聖寺川の渓谷、鶴仙渓とともに芭蕉に愛された石膏泉は開湯以来、今も同じ場所で湧いている。残された一句が伝える湯の香りは健在だった。

山中温泉総湯「菊の湯」石膏泉の湯の香りに感じ入った芭蕉が一句を残している

若かりし頃は大人ぶって見栄を張って、大枚はたいて豪勢にと、それが満足の対価だと思っていた。

女将が三つ指ついて挨拶に訪れる旅館を選び、温泉も優雅な露天風呂などを好んだ。本質も知らず、何かにつけて通ぶってうんちくを傾けていたのだから、無粋はもちろん、歳に見合わない背伸びは相当な不格好だったように振り返る。

鶴仙渓のこおろぎ橋を渡り渓谷を覗き込むと、その深い谷は懐かしさよりも新鮮に映った。隆盛を極めた加賀の温泉郷だったが、昔日より総湯が癒やしてきたのは何だったのか——。谷底の深々とした緑の鮮やかさに気が付くと、今はしっかりと感じ入ることができているように思えた。

深い緑と水のあふれる渓の中で湧く黒薙温泉

どうしてなのか、最終的には黒部峡谷のトロッコ電車に乗っていた。終点の欅平、そして祖母谷温泉を目指した強行だったが、明日の予定という自縛により、黒薙で途中下車してしまった。宇奈月温泉の源泉である黒薙温泉の大野天風呂は貸し切りで、自らの弱さを悔いるには打って付けだった。

立山黒部の温泉大縦走は、欅平から難所である水平歩道を経由して阿曽原温泉、そして仙人温泉へ。険しい剱岳にはあまり登りたくないが、そびえる名峰に星空が降るという剱沢野営場で幕営したい。ゴールは立山の最高峰大汝山の登頂ではなく、日本最高所に湧くみくりが池温泉——。

あぁ、黒部の源流域では魚釣りもしたいと思えば、どのみち、仕事なんかしている場合ではないのだと気付くのであります。