丸子の領収証

秋田沖で使えなくなるという謎の症状を改善すべく、乗り込んだ船の操舵室。案外小さい舵は模擬運転やゲームセンターのようだったが、港を見下ろす迫力はさすがの一言に尽きた。出港までの短い滞在を、屈強な航海士たちが忙しなく動き回っている。その中で気圧されていると、急に喉が痛みだした。鼻はぐずり、一気に集中力が削がれていく。海を渡り、男たちに揉まれてきた強烈なそれが、私の検疫をいとも簡単に突破していくのが分かった。

たとえば、出航時間までに直さないとどうなってしまうのか。すでに鼻水が止まらない私をよそに、航海図は無言で次の港を示していた。汽笛を聞いたら、そのまま私は知らない港へ—— それを知り、焦って取り組んだ過去の私に、今の私は問いを投げかけていた——。

霊泉寺温泉には違う時間が流れているのか。はたまた時間の流れ方が違うのか

珍しく鼻声で、時折咳き込みながら、信州上田を目指してきた。宿泊先は戸倉上山田温泉よりも別所温泉、例えば田沢温泉まで行ってしまうと、もはや上田の出張として、領収証が通るのかいささか謎ではあったが、それでも気にせず丸子温泉郷に決めていた。丸子は鹿教湯、大塩、霊泉寺からなる温泉郷で、中でも霊泉寺温泉はその名の通り、寺湯に始まる共同湯を静かに囲う小さな湯の里。

霊泉寺川にかかる橋を渡ると、古刹の境内で遊ぶ子供たちの姿が夕暮れに包まれていた。輪になり遊ぶボールがなんだか蹴鞠に見えてくると、わらべを見守る私の姿もいつしか托鉢の僧に—— もはや懐古を越えて遙か昔日を思わせた古里の情緒が、霊験あらたかな湯の里であることを改めさせる。それでも祈願懇願をさせるようにではなく、当たり前の感謝の思いだけを汲み取るようにして、霊泉寺の湯は極めて質素な共同湯の湯船を満たしていた。

前出の田沢温泉は指折りの名湯、共同湯の有乳湯はなんと言ってもその泡付きの源泉が素晴らしい。すぐ上の沓掛温泉も、またしかり。そして、信州最古のいで湯である別所温泉は、一大霊場の北向観音堂の懐に湧く由緒正しき古湯。温泉天国、信州の中でも古い歴史を持つ温泉が多いこの地域だが、特別、丸子の霊泉寺温泉に惹かれるのは、本当の静けさを今に残す貴重な保養場であるからだ。

「探さないでください」という私の書き置きを見つけたら、この湯の里を探してほしい。

諏訪大社下社の手水舎は温泉が流れる

翌日は浅間温泉へ(いや、松本へ)移動し、下諏訪温泉まで(下諏訪まで)上ってきた。各地にある諏訪神社の総本社である諏訪大社は、日本最古の神社の一つ。下社の門前町は中山道と甲州街道が合流する宿場であり、温泉場でもあった。綿の湯、児湯、旦過の湯と、下諏訪の古湯を引いた和風旅館が旧諏訪宿に建ち、街道の面影を今に残していた。温泉は街中の温泉銭湯にも配られており、今も変わらず地元民と旅人の疲れを癒やす。下諏訪が江戸時代随一と言われた温泉場であったことを確かに思わせた。

宿は上諏訪温泉に取った。上諏訪にも共同湯が点在し、まるで民家の中にあるような、そんな生活感にあふれた味わい深い湯巡りを楽しめる。駅前のビジネス温泉旅館は好立地にも関わらず、もはや木賃宿の料金だったが、古いが清潔に保たれており、快適この上なかった。もちろん温泉も配湯されており、湯は掛け流しという完璧な内容。また、旅館のすぐ裏が赤提灯の灯る昭和の盛り場なのだから、百点だった。

スナックなのか居酒屋なのか分からない酒場に目がとまった。ここだと野生の勘は言ったが、開店までにまだ時間があるようだった。それならば軽く一杯と、これが失敗だった。開いていた店にふらりと入ると、有名銘柄の空き瓶がずらりと並んでいた。思わず牽制して瓶ビールを注文したが、冷やされて霜の降りたグラスが届いたから、ビールファンならずとも頭を掻いた。予想通り、何でもかんでも冷たくして運んできた、冷たいお酒の狂信者。フルーティーという語彙しか持たぬ割に面倒臭いから、出遅れた。目当ての酒場はすでに満席で、上諏訪の夜は枕を濡らしたまま明けてしまった。

上諏訪のビジネス温泉旅館。領収証問題を一蹴する「ビジネス」のそれが心強い

あのとき、そのまま秋田沖に出ていたら、どんな出来事が待っていたのだろうか——

楽しそうな方を選択することの難しさを痛感している。明日の予定だの都合だの、そのうちに常識だと言い出してしまうような言い訳は、はたして本当の理由なのだろうか。人間は自由の刑に処されているとは、このことなのだろうか。

未練を引きずるようにして、未だに治まらない鼻水をすすった。

 

「行先 秋田沖 戻り 未定」

笑いながら予定表のボードに書いてみたが、不思議なことにあまり違和感を感じなかった——。