俺に似合うブルース

Weeping in the rain——♪

細く長い作業道を抜けると、カーステレオがAMラジオの電波を拾った。柳ジョージは雨に泣いていたが、谷川岳の夜は雪になっていた。いよいよ核心部につながる入口で、手ぐすねを引いて待ち構えていたのは、月明かりも届かない漆黒の闇——。人の嫌がる仕事を異常に喜び、そして無駄に勇んで、今日も辺境へと赴いた。

猿ヶ京に滞在して、夜半から谷川岳を目指すという行程だから、日中に時間があった。古い面影を残した、旧街道沿いの地蔵に願かけをして巡る「おがんしょめぐり」は旅情をかきたてるが、三国峠に近い一帯は石膏泉の名湯が揃う温泉天国。やはり湯巡りは欠かせない。

本来は静かな湯治場である川古温泉。ぬる湯の名湯は喧噪を洗い流すためにあるのだが・・・

赤谷川の渓谷にある一軒宿の川古温泉は、その静かな環境が静養に適しており、湯量豊富で自噴する湯は地味だが、効能豊かな温泉だ。鮮度の良さを知らせる気泡がびっしりと体にまとわりつく不感温度のぬる湯は、雪解けを待つ季節でもじんわり温かく心地良い。

しかし、長湯に適したぬる湯と抜群の開放感にあふれた混浴露天風呂ゆえに、マナーの悪い客が目立つ。持ち込まれた酒類の残骸に、渓谷の静けさは打ち破られていた。日帰り湯で楽しめる機会を失い兼ねない愚行が、自らの首を締めていることに早く気付いてもらいたい。

法師温泉はやはり、その佇まいからして違う

法師川の川筋から自然湧出する法師温泉は屈指の名湯。国の登録有形文化財に指定されている本館や別館は言わずもがな、混浴大浴場の底に敷き詰められた玉石の間から静かに、そして限りなく優しく湧き出す石膏泉には春夏秋冬、ため息が漏れてしまう。

仕切られた浴槽のうち、源泉が湧出している場所を独占している男性客がいた。肩から胸にかけて見えた彫り物は、タトゥーというよりは入れ墨のそれで、チンピラ風情が目を閉じて長湯を決め込んでいた。湯口の独占もマナー違反だが、何よりはこの静寂を破ることが大迷惑—— どやどやと日帰り客たちが大きな声のままで浴場の戸を引いた。

まずはそのぬる湯に戸惑ってから、なんだかぬるいね、いい湯じゃないねと繰り返した。あっちの方がいい、こっちの方がいいと、猿ヶ京付近の日帰り温泉施設を良しとするトンチンカンな会話を制止したのは、チンピラだった。

 

「その施設よりも先に行くと、川古温泉がありますよ」

静かで景観もいいからお勧めですよと、アドバイスした。手招きで呼び寄せて、ブン殴るのかと思わせたが、ここから温泉が湧いて出ていますからと、チンピラはその場所を日帰り客たちに譲り、波立てぬようにしてゆっくりと浴槽から上がった。

「目を閉じて、静かにこの名湯を感じてください」

思わず目を閉ざさずには居られないほどの彫り物が全身にあり、再び、静寂は取り戻された。道を外れたヤクザ者だったかもしれないが、実にマナーのある温泉ファンだった。

石畳の小さな温泉街の湯宿温泉。言われぬ寂しさが同居する不思議な魅力を感じる

「熱いのが良ければ、湯宿温泉がいいですよ」

ヤクザな温泉ファンお勧めの湯宿温泉は、漫画家つげ義春も愛した閑静な温泉街。湯があり、そこに形成された小さな湯の街は、どこか観光に媚びない雰囲気によって、その静寂が保たれているように思える。石畳の細い路地に共同湯も点在しているが、観光客の往来は少なく、やはり寒々としており、独特の寂しさがあった。

掘削に頼らず、自然湧出の源泉でまかなえている湯の実力は言うまでもなく、また関東近郊からのアクセスも良いのだが、湯宿の評判があまり聞こえてこないのは、やはりそういう理由からなのか。

例えば、金を出せば得られる満足などはその程度で、静けさや侘しさを愉しむ、もっと言えば貧しさから愉しみを見出すようなことは、無粋な人には到底できないだろう。人により求めるものは違うのかもしれないが、本質を見極めようとするときについてまわるのは、静けさだったり寂しさ、もしくは貧しさのような気がしてならない。

 

♪——この俺に似合うブルース口ずさむ

雪が強くなってきた。口を広げた谷川岳の闇に吸い込まれると、不思議と笑いがこみ上げてきた。